まさに天国と地獄だ。1961年オフ、一度は整理要員となり、解雇が決まっていた。それが監督交代により、撤回され、さらには翌62年、「18番の四番打者」と言われ話題を呼び、以後中軸バッターに成長していく。そのブレークの陰に2人の“オヤジ”との出会いがあった。 3年目63年のフォーム。まだ構えが固い クビのはずが…… 「18…