当時は広いとされた横浜スタジアムで軽々とオーバーフェンスする打撃からつけられたあだ名は「オバQ」。放物線を描いて飛ぶ打球が歓声を呼んだ。ホエールズ打線の中軸を担った和製大砲は、当時を「必死だった」と振り返る。 無我夢中で必死の時代 私のプロ入りは1973年。入団当時はこの世界でやっていけるか不安で仕方…