---- 外野の一角を奪うべく日々、奮闘している岸 明徳義塾高1年で夏の甲子園に出場し、以後、2年夏、3年春夏と、自身通算4度の甲子園出場を果たした岸潤一郎は、“甲子園の申し子”と称されるほどの知名度を誇っていた。将来を嘱望され、卒業後は拓大へと進んだが、度重なる肩肘の故障の末、3年秋に退部。同時に大学も中退…