野村克也が語る「捕手兼任監督」

  • 最初は頑として断った捕手兼任監督就任  私が初めて南海の兼任監督に就いたのは1970年。当時、私は35歳だった。  その前年、南海は通算23年指揮を執った鶴岡一人監督が退き、黄金時代の四番を担った先輩・飯田徳治さんが新監督となった。だが、あのころチームはボロボロだった。負け、負け続きで、どうしても勝てない。

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