野球人生とは、何が起こるか分からないものである。選手層の厚い名門・横浜高では控え投手で脚光を浴びる機会はあまりなかった。大学でポテンシャルを開花させたのは、高校3年間の努力があったからこそ。伸び盛りの154キロ右腕である。 取材・文=佐伯要、写真=菅原淳 元中日投手の日体大・辻コーチが精神面の充実を認める…