---- 大体大時代も、上原浩治は背番号「19」を着けた。東海大仰星高(大阪)から1年間の浪人生活を経て入学している 上原浩治が44歳まで現役生活を続けられた理由とは――。 原動力となっていた「雑草魂」だけで片づけることはできない。探求心。つまりは、引き出しの多さに尽きる。向上心を忘れず、なぜ、そこまで野球…