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2019ドラフト

【2019ドラフト】11球団が視察に訪れた沖縄に潜む原石右腕・金城洸汰(北山高)

 

長身から投げ下ろす直球に多彩な変化球


北山高・金城洸汰


 那覇から車で約2時間ほどのところにある沖縄本島北部・今帰仁村。世界最大級の大水槽でジンベイザメなどが展示されている沖縄美ら海水族館のある本部町に隣接する今帰仁村には世界遺産の今帰仁城跡や、道中360度オーシャンブルーの絶景を古宇利大橋から望んだ先にある帰属の有人島「古宇利島」があり、日中は海水浴、夜になれば満点の星空が鑑賞できる沖縄有数の人気スポットである。今も多くの風光明媚な自然が残る「ヤンバル」の土地で生まれ育った高校球児が今年、ドラフト候補に名乗りをあげている。

 古宇利島から車で約20分の距離にある沖縄県立北山高等学校。小高い丘の上にあるこの高校は、古代琉球の時代に北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)の3つの地域に分かれて勢力争いをしていた三山時代に沖縄本島北部地域を治めていた今帰仁城の城主・北山王(ほくざんおう)が校名の由来となっている。OBには沖縄県選出の初の大臣となった上原康助氏や、1997年に芥川賞を受賞した目取真俊氏、三段跳びで1972年のミュンヘンオリンピックに出場した具志堅興清氏などがおり、2013年のドラフト会議で現在DeNAで活躍する平良拳太郎投手を巨人が5位指名したことで、同校初のプロ野球選手も誕生した。

「(平良投手は)年末に学校のグラウンドで練習する姿を見ていましたし、なかなか話す機会がなくて僕の中では遠い存在ではあったんですが、ずっと背中を見ていました。あこがれの先輩です」。まだ少し幼さの残る顔立ちの金城洸汰は、今帰仁が生んだヒーローと同じ、プロの土俵に立てる日をずっと夢見てきた。

「幼稚園のころから、ほかの同級生よりも頭ひとつ分飛び抜けていました」と話す金城の今の身長は187センチ。長い手足と肩幅の広い理想的な体形から投げ下ろす角度のある速球の最速は139キロで、スライダー、カーブ、カットボール、チェンジアップ、ナックルと多彩な球種を投げ分けることができる。特に「一番自信のある球」という相手のタイミングを外すカーブと「落差の大きさがすごい」と津山嘉都真監督が惚れ込むスライダーが名刺代わりだ。しかし「目標の140キロ台にはまだ手が届いてないし、自分のフォームを研究している中でフィジカル的にもっと太くならないとこれから先やっていけないなと思っています」。楽天岸孝之投手を目標にする金城は目下の課題に答え模索する。まだまだ伸びしろがありそうだ。

マウンドでのエネルギッシュな姿


 父親がバレーボール選手、母親は卓球経験者というスポーツ一家で育った金城は三人兄弟の末っ子。兄の影響で地元・本部町の上本部ドジャースで野球を始め、ファーストと外野を任されると、小学4年のときからピッチャーも務めるようになった。6年になると主力として年間5度の優勝に貢献。筑後川旗西日本学童軟式野球大会では4回戦まで進出し、県外でのプレー経験を積んだ金城は次なる上のステージで「やれる」自信をつかむ。

 上本部中では当初ピッチャーとファーストを掛け持ちし、2年からピッチャーに専念。中体連の地区大会で結果を残し県大会出場へとけん引すると、一際目を引く高身長の選手に対して、数多くの高校の強豪校から声がかかったという。しかし、中学野球が終わり高校進学までの間、別の硬式野球チームに入った金城は、今までライバルだったさまざまな中学の選手たちとチームメートとなり「みんなで一緒に甲子園を目指せたらいいな」という思いが強まったことが転機となり地元・北山への入学を決めた。

「真剣に野球に向き合う真面目な姿勢と熱量はひしひしと伝わっていたし、人一倍努力していた。課題に対して自分なりに考えて答えを見つけ出し、実行することに関しては1年生のころから意識が高かったです」(津山監督)

 普段の柔らかな表情とは裏腹に、真白なユニフォームに身を包めば闘争心に火がつく。真剣に取り組んでいるからこそ曲がったことが許せない性格の金城。勝負事になれば強気な部分を前面に押し出し、目が血走るほどの熱気に津山監督も「怖さ」を感じるほどだ。そのエネルギッシュな姿に指揮官はチームの将来を担う存在となってほしいという思いから、1年生の夏の終わりにエースナンバーを託した。

「やるかやらないかではなく、やるかやるか」


 しかし金城にとっての高校3年間は順風満帆ではなかった。入学してすぐのころ、ヒザのケガを負い、野球がしたくてもできない時期を過ごした。さらに2年生の新人戦の前に再び負傷し満足な練習ができず、大会メンバーには入ったものの背番号1は手放さざるを得なかった。

 なおも2年の夏の大会では初戦の那覇西戦で先発登板も、打席でデッドボールを受け退場し、その後ベンチを温める時間を過ごした。「いつもケガでやりたいこともできない中、初めのころは面白くないと思ったこともありました。でも、その時期を過ごしている中で仲間たちの頑張っている姿に励まされ、自分も頑張らないといけないなと思い、それからは嫌な気持ちはなくなりました」。

 試合に出られなくとも自らの闘争心を分け与えるかのようにベンチから仲間を鼓舞し続けていく中、快進撃を見せるチームは38年ぶりのベスト8に進出。復帰のタイミングを作ってくれたチームメートに感謝し、ベスト4をかけた沖縄尚学戦の6回から3人目として復帰のマウンドに立つと、打線好調の相手を2安打に抑え、チームのサヨナラ勝利の呼び水となった。「この試合が高校3年間で一番うれしい出来事だった」と金城は答えた。

「この3年間、メンタルが一番成長したと思う。試合であったりケガだったり、自分のうまくいかないことが多かった中、それに耐える時期を過ごした。でも自分の中で向上心というものを持たないと上には行けないと思っていたし、苦しい中で向上心を保つことがきつかった3年間でしたが、その中でずっとうまくなりたいと思ってできたことが自分の成長できたところかなと思います」

 野球を始めたころから常に目指していた「プロ野球選手になりたい」という夢。幼きころであれば何の隔たりなく言えたこの言葉も、高校生になれば口に出さない選手がほとんどだろう。それでも金城は「最初は言うのは恥ずかしかった」ものの、それを言うことにより口だけでなく行動で示さないといけないという責任感を覚え、一層プロへの道を強く持つようになった。

 時同じくして今年、プロ志望届を提出した超高校級左腕の興南・宮城大弥を意識し、技量のみならず「エースの自覚」も高めた金城に対し、今年に入って11球団のスカウトが学校を訪れたという。

「やるかやらないかではなく、やるかやるか」という言葉を胸に刻みながら野球に向かい、日々成長してきたという誇りを持って、ドラフト当日を迎える。

文・写真=仲本兼進
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