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帽子のマークも、コートの胸のマークもテンデンバラバラ
一体いつの巨人ベンチなの? 昔はよくあった光景

 



 巨人は、今キャンプからほぼV9時代のデザインに近いユニフォームを着用しているが、ユニフォームが新しくなる切り替え時というのは、この写真のような、一種、珍妙な光景になることがよくある。

 それにしても、この54年の巨人二軍ベンチの、キャンプを通り越してもうオープン戦の時期に入っているというのに、テンデンバラバラぶりはどうだろう!

 この年から巨人は帽子のマークを今に続くYとGを組み合わせたものに変えたのだが、武宮敏明コーチ、内堀保二軍監督、新田恭一コーチ(写真左から)の3首脳の頭には、さすがにYG帽が載っているが、選手たちは、YG帽もいるがTとGを組み合わせた帽子もいる。このTG帽は、53年のみ使用されたのだが、二軍にはまだ54年の新型が十分に行き渡っていなかったのかも。

 それよりも、グラウンドコートにご注目あれ。内堀監督と新田コーチの胸のマークは、50年6月〜52年の3シーズン、帽子に使われたGの装飾文字と同じもの。この二軍ベンチの“装束”の写真は、5年の幅を持つ珍しい1枚なのだ。グラウンドコートは防寒用の高価なものだから、すぐに新調というワケにはいかなかったのだろう。

 内堀監督は、35年の巨人第1回渡米遠征のメンバーで(捕手)、巨人1期生。長崎商の卒業式前に仮卒業で渡米する予定だったのだが、文部省が「卒業式前に渡米したら退学処分にする」と脅した。中学生徒のままでアメリカでプロと試合をするのなら、学生・生徒のプロ試合出場を禁じた野球統制令に違反するという脅しだった。結局、内堀は退学届を出して渡米した。内堀の周囲は「それはあんまりだ」と校長にかけ合って遠征から帰ったら卒業証書を出すという約束を取り付けた。しかし――。「帰ったらその校長先生が亡くなっていたんだよ。何という運命かと思ったね」と内堀。卒業証書はついに出なかった。
文=大内隆雄
おんりい・いえすたでい

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