アマチュア球界のエリート街道を歩んできた。中京大中京高ではエース右腕・堂林翔太(現広島)とともに、3年夏の甲子園で43年ぶり7度目の全国制覇を達成。法大では4年時に主将を務め、大学ジャパンのユニフォームにも袖を通した。そして昨春加入したトヨタ自動車では日本選手権制覇。みたびドラフト解禁となる社会人2年目、勝負をかけていく。 取材・文=山口真一/写真=BBM 
高校、大学、社会人と名門チームでプレーしてきた河合。技術だけでなく、経験値もアドバンテージになる
高校恩師から言われた「堂林よりもプロ向き」
自分に妥協しない男。そして、経験を成長につなげられる男だ。大卒2年目、ドラフト解禁となるこの秋、胸を張って自分自身に「合格」を出せるように、
河合完治はきっと今日もバットを振っている。
社会人1年目の昨季は公式戦、オープン戦とも打率3割2分台。都市対抗出場は逃したものの、秋の日本選手権は予選から好調、本大会でも「三番・二塁」として要所で活躍し、優秀選手の1人に選ばれている。
身長は175センチ、大柄ではない。それでもバットスイングは鋭く、打球が速い。中京大中京高の3年時には夏の甲子園に三塁手として出場、6試合通算で15安打2本塁打11打点、打率は.536。28塁打の大会新記録をマークし、同校の夏7度目の優勝に貢献した。
法大では1年春から公式戦に出場し、秋には打率.350をマークして三塁手のベストナインに。2年目以降はケガに悩まされる時期が長かったが、4年時には主将を任され、春は.438の高打率と14打点を記録。二塁手としてベストナインに選出され、日米大学野球の代表メンバーにも名を連ねた。
高校、そして大学でもドラフトにかかっておかしくない実績を残しながら、それでも河合は手を挙げなかった。プロという世界は、入ることよりも活躍することの方が大切だと思っていたからだ。
「中京大中京の大藤敏行監督(当時)からは、(エース兼四番だった)堂林(翔太・現広島)より河合のほうがプロ向きだと言っていただいたこともあります。でも・・・
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