
年明けからフォームの調整に苦しんだが、東監督からの助言で好投を見せた
「地元から甲子園に出場して優勝する」と決意して敦賀気比へ
平沼翔太の2015センバツ甲子園成績 ヒザを顔付近まで抱え込む、ダイナミックなフォーム。最速は144キロも数字以上の迫力。打者に向かっていく姿勢がいかに大事か、平沼翔太があらためて教えてくれた気がする。
「冷静に、強気で攻めたい」
この独特な言い回しこそが北陸勢、福井勢に悲願の甲子園初制覇をもたらしたキーワードだ。2歳上の兄・潤哉さんの影響で野球を始めた。父・次郎さんの散歩道だった足あす羽わ山やまで足腰を鍛えた。神社の200段の階段を10往復。往復7キロの走り込みも、負けず嫌いの平沼が弱音を吐くことはなかった。自宅前では、バドミントンのシャトルを使った打撃練習。抜群のミート力は、遊び感覚で培われた。社西小4年時には捕手として、兄弟バッテリーを組んでいる。
社中時代は硬式野球の
ヤングリーグ・オールスター福井に在籍する傍らで、中学校の部活では陸上部に在籍した。専門は1500メートル。兄は胸の差の県2位(4分16秒)で福井出場1枠のジュニアオリンピックを逃すも、平沼は1位(4分27秒)で代表切符。本大会でも4分22秒と身体能力の高さはトップレベルだった。
平沼の潜在能力を早くから見抜いていたのがプロ野球で通算139勝を挙げ当時、オールスター福井の総監督兼GMを務めていた
小林繁氏(故人)。平沼は体験入部だった小学6年時に指導を受けているが・・・
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