今回で7度目の優勝を果たしたヤクルト。しかし、当初はなかなかツバメ軍団は勝てなかった。負けグセのついたチームが、どのようにして初優勝し、停滞のあといかにして常勝軍団となり、生え抜きV監督を生んだのか? 文=大内隆雄、写真=BBM 「ファンの皆様、おめでとうございます」
これは、14年前のヤクルトのVを知らない人でも多分知っている、球史に残る名セリフである。
2001年10月6日の横浜戦(横浜)でヤクルトは延長10回の熱闘の末、6対4で勝利。97年以来6度目の優勝を達成した。胴上げされるのは、
若松勉監督。過去5度のVは、
広岡達朗(78年)、
野村克也(92、93、95、97年)両監督の下で達成されたのだが、2人は他球団出身の指揮官。ヤクルトは初めて生え抜きの監督で優勝を達成したのだ。ここに大きな意味があった。言ってみれば、自力での優勝。カリスマやデータ野球の元祖の手を借りずに、自前、自力のV。
就任3年目の若松監督は「2年間、選手を動かし過ぎたかも。1点欲しさに小細工をして、墓穴を掘ることが多かった。だから、今年は選手を信用してやってみよう」とシーズン前に語ったが、要するに自分が我慢することがチームを生かす道ということを3年目に悟ったのである。
「ファンの皆様、おめでとうございます」の名セリフは用意されていた
途中を省略するが、結局、この我慢が、宿敵
巨人に終盤3タテを2度も食らっても、何とかゴールのテープを切らせることになったのである。「今年はみんなで力を合わせて勝ち取った優勝」(
古田敦也捕手)。「今年に関しては本当にチームワークの勝利だと思う」(
高津臣吾投手)と選手たちも監督の信頼に応えたのだった。
胴上げに戻ろう。軽量の若松監督は、恐ろしく上にはね上げられてクルリと1回転。こんな胴上げは初めてだった。そして、優勝監督インタビューでも、これまでどの優勝監督も口にしたことのない冒頭の名セリフを吐いたのだった。

01年、胴上げされた若松監督。勢い余って1回転してしまった
実は、これは、興奮のあまり「ありがとう」を「おめでとう」と言い違えたのではなかった・・・
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