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「新怪物伝説」清宮幸太郎

荒木大輔が甲子園出場の母校&後輩にエール

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母校&後輩へエールネット裏で「WASEDA」が躍動する姿を目に焼きつけた。1年夏から3年夏まで、5季連続出場を遂げた早実先輩が「高校野球100年」にレジェンド校が名乗りを上げる意義、そして、同じ1年生で聖地の土を踏む清宮幸太郎にエールを送る。
写真=大泉謙也、藤井勝治

甘えていいのが1年生。自分で抱え込む必要はない


 和泉監督がインタビューで涙を流した。

「今までで一番、苦しい大会だった」と。

 監督とは孤独な仕事だ。2015年は早実にとって〝特別な夏〟だ。早実を含めた夏の第1回大会の出場10校の代表選手が、復刻ユニフォームを着用して8月6日の甲子園開会式で入場行進する。

 また、早実の大先輩である王貞治さんが始球式を行う。さらには、かつて早実の理事長を歴任した日本高野連・奥島孝康会長が今夏限りで勇退する。和泉監督は常日ごろから選手たちと親身に接し、全力でプレーできる環境を整えた。早実が抱えるさまざまな背景については口にせず、重圧を一身に背負っていたのだ。

 決勝の試合前には写真撮影の時間が設けられたが、和泉監督はピリピリとしたムードは一切見せず、むしろ、お茶目な一面をのぞかせていた。しかしながら、それもプレッシャーの裏返し。優勝を意識した中で結果を残したのだから、本当に素晴らしいこと。私も含めて、元プロにもアマチュアの現場で指導できる環境ができた昨今だが、高校野球の監督とは「指導者のプロ」だと思う。日々、生徒たちの成長を見守りながらコントロールする人心掌握術。和泉監督のようにキャリアを積んだベテランこそ「レジェンド校」と言われる早実で、甲子園へ導くことができたのだ。

 持っている力を発揮させることができた、その象徴は1年生・清宮幸太郎だ。4月以降、彼が加わったことでチームが活性化したことは言うまでもない。私も当時1年生で同期の小澤章一(二塁手)とともに出場機会に恵まれたが、周囲の上級生がプレーしやすい雰囲気を作ってくれた。清宮のプレーを見て、卒業から30年以上が経過した今も、早実の変わらない伝統に映った。何も考えなくていいのが1年生。

 つまり、責任はすべて3年生が受け止めてくれるわけだ。清宮はよく「ベンチに入れない2、3年生のために」と口にするようだが、上級生が最後だから、という気遣いはいらない。甘えていいのが1年生。自分で抱え込む必要はない。甲子園では、次元の違う投手と対戦する。1年夏から甲子園の土、芝生を踏み締め、独特のムードの中でプレーできるのは大きい。勝ち負けに縛られることなく、多くの経験を吸収する場となる。5季連続出場のチャンスを得られたわけだが、守備力を含め、課題を持ち帰り、レベルアップにつなげてもらいたい。

全国レベルの投手と対戦することで、次なる課題が明確になる。多くの場数を踏むことが成長への近道だ



PROFILE
あらき だいすけ●1964年5月6日生まれ。東京都出身。中学時代に在籍した調布リトルで世界大会優勝を経験。早実ではエースの故障により、1年夏の東東京大会からマウンドを任され甲子園出場。北陽高(大阪)との1回戦で完封して勢いに乗って決勝進出(準優勝)。以後、3年夏まで5季連続で甲子園に出場し12勝。83年ドラフト1位でヤクルトに入団し86、87年と開幕投手を務めた。その後、ヒジや腰の故障に苦しむも、92年後半に奇跡の復活を果たし同年のリーグ優勝、93年の日本一に貢献。96年に横浜へ移籍し、同年限りで引退。通算180試合、39勝49敗2セーブ、防御率4.80。04~07年まで西武、08~13年までヤクルトコーチを歴任。現在は野球評論家。

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