年WBCの戦いで明確となった目標
夢へのスタートラインにようやく立った
前田健太はまず、
広島球団への感謝を口にした。
「今回こうやって球団から自分の夢を後押ししてもらった。松田(元)オーナーをはじめ、鈴木(清明)球団本部長、球団関係者の皆さん、そしてファンの方々に感謝の気持ちでいっぱいです」。
まだ移籍球団が決まらぬ状況を冷静に受け入れながら、控えめな喜びを口にした。12月4日、かねてから希望していたポスティング制度を利用してのメジャー・リーグ挑戦を球団から容認され、夢の扉をたたいた。
初めて前田がメジャーへの思いを公言したのは、2013年のオフだった。契約更改の席で球団に思いを伝え、会見の場で打ち明けた。
「あこがれがない、行きたくないと言えばウソになる。チームにとっても自分にとっても、プラスになる形で迎えられたらと思う」。
メジャー挑戦を“夢”から“目標”とした瞬間だった。 07年、PL学園高から高校生ドラフト1巡目で広島に入団。1年目は球団の方針もあり、1年間、二軍で経験を積んだ。オフに異例の背番号変更でエースナンバー18を背負うことが発表されると、翌年から快進撃が始まった。デビューイヤーで9勝を挙げると、翌年はシーズン通して一軍で投げ続けた。
3年でプロの投手として土台を作り、10年は一気にスターダムにのし上がる。15勝8敗、防御率2.21。沢村賞など投手タイトルを総なめにした。13年春にはWBCに出場。名実ともに日本のエースとなった。このとき、初めて日の丸を背負って世界を肌で感じ、自身の思いが強く、そして明確なものとなった。
「今まで自分がチームで1番と思っていた。でも自分の未熟さを感じ、何か違うなと。自分よりも、もっともっと上の選手がたくさんいる」。アスリートとしての本能が駆り立てられた。日本から世界へ──。「後悔はしたくないので自分が挑戦できるときに(アメリカへ)行きたい」。前田の視線は、はっきりと世界を向いた。
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13年WBC、14年日米野球、15年プレミア12と世界との戦いの中で、夢への思いを募らせていった(写真=小山真司)
エースとしての姿勢についに「容認」の判断下る
13年オフに球団に思いを伝えてからも、広島のために投げてきた・・・
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