大毎オリオンズの主軸打者として“ミサイル打線”の一翼を担い、1958、59年に2年連続で打点王に輝いたクラッチヒッター・
葛城隆雄。当時、全盛期を迎えていた西鉄のエース・
稲尾和久が苦手とした打者としても知られる。
プロ入り前の大分上野丘高時代は無名の投手。両親が教師で兄が国家公務員という家庭に育ったこともあり、高校時代には一時、勉強に専念するため野球を離れた期間もあったという。プロ野球へ入ることなど考えもしていなかったが、高校2年時にオリオンズがキャンプ地の別府で開催した野球教室に参加したところ、そのプレーが首脳陣の目に留まり入団に至った・・・
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