昨年の夏、自己最速となる148キロをマークした本格派右腕だ。現チームでは主将の重責を担いながら、昨秋にはチームを31年ぶりの東海大会に導き、4強進出に貢献。最後の夏、26年ぶりの静岡頂点を狙う。 取材・文=上原伸一 入学以来、ひと冬を超えるたびに体が大きくなっていった。最後の大舞台、将来を考えるより、まずは夏の切符をつかみにいく[写真=井田新輔]
下半身主導でクセがないバランスの良いフォーム
今年5月──。日大三島のグラウンドで県岐阜商を招いての練習試合が行われた。50人も座れば一杯になるネット裏席にはスカウトがズラリ。お目当ては県岐阜商の
高橋純平と、日大三島の
小澤怜史の投げ合いだった。日大三島の川口剛監督は、プロ9球団17名のスカウトが集結した様子を見て、しばし感慨にふけったという。川口監督は小澤を小学生のころから知る。小澤は小学時代、日大三島OB会の長谷川記一副会長が監督を務めるリトルジャイアンツ(軟式)でプレーしていたことから、よくグラウンドに遊びに来ていた。
「あの子が……という感じでしたね。入学時を考えても、まさかこれほど注目される投手になるとは思いませんでした。上背は今とあまり変わりませんが、線が細かったですし、ストレートの最速も130キロ台後半くらいでしたから」
成長を大きく後押ししてきたのが、スカウトから「バランスがいい」と評される、下半身主導のクセのない投げ方だ。現在のフォームの原型がつくられたのは小学時代。小澤はリトルジャイアンツの長谷川監督から
「腕の振り方やグラブの使い方など、基本的なことはすべて教えてもらった」という。当時、チームのコーチをしていた父・竜彦氏もアシストした。
「父は(1984年春のセンバツ出場の経験もある)長谷川監督に全幅の信頼を置いてまして。家に帰ると『監督が言っていたのはこういうことだ』と、必ず指導の内容をおさらいしてくれました」
一気に20センチも背が伸びた中学時代は、シニアの強豪・静岡裾野に所属。ここではスピードよりもコントロールに磨きをかけた。ストレートの回転にもこだわり・・・
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