黄金時代を築いたPL学園に、この人物を欠かすことはできない。中村順司監督。甲子園通算58勝を挙げ、勝率.853は歴代監督勝利数上位者の中でも飛び抜けて高い。桑田真澄、清原和博らをはじめ超高校級選手を育て上げ、指導したすべての学年からプロ野球選手を輩出した名将の指導の秘密とは――。 文=楊順行、写真=BBM 200人の中から選手を選抜
58勝10敗。1980年秋から98年春までPL学園を率いた、中村順司監督(現名古屋商科大監督)が甲子園で残した成績だ。歴代2位の勝ち星もさることながら.853というその勝率がすごい。なにしろ、4勝1敗なら下がってしまうのだ。現に15年センバツでは、大阪桐蔭・西谷浩一監督が瞬間的に上回ったものの、準決勝敗退(勝率.837)で中村がトップを維持した。
80年代に限定すれば、数字はもっとべらぼうだ。中村が初めて指揮を執った81年センバツから82年春、83年夏と、出場した3回を連続優勝。84年の春は惜しくも準優勝に終わったが連勝は20まで伸び、そこに含まれるセンバツ14連勝とともに甲子園の最高記録だ。さらに85年夏、87年の春夏連覇と、80年代だけで優勝が6回、準優勝が2回。この間44勝4敗、勝率.917とくればもう、ため息しか出ない。
なぜ、そんなに強かったのか。縦横無尽に妙手を打つわけでも、攻めダルマよろしく打ちまくるわけでもない。攻守のバランスが取れたオーソドックスな野球は、どのチームでもやっていることだ。では、なぜ? 身も蓋もないが、これはもういい選手がいたからに尽きる。
55年に創立したPL学園は、パーフェクト・リバティー教団の布教、また私学の経営戦略として、野球部の強化に力を入れた。全国の教団支部の推薦を受け、セレクションに集まるのが200人ほど。そこから10人前後が合格するのだが、例えば9期生には
中塚政幸(元大洋)、のち無安打無得点を達成する
戸田善紀(元
中日ほか)ら、プロ入りする選手が4人もいた。
中村が率いた時代も、81年センバツのVメンバー・
吉村禎章(元
巨人)ら3人から始まり、最後の指揮だった98年春の2年生・
田中一徳(元横浜)ら4人まで、すべての学年で1人以上がプロ入りしているから、これは奇跡に近い。なかでも突出は83~85年に優勝2回、準優勝2回の桑田真澄(元巨人ほか)、清原和博(元
オリックスほか)ら、プロ5人のKK世代と、
立浪和義(元中日)ら4人がプロ入りした87年春夏連覇世代である。
くどいほど説いた人間性の研磨
ただ、それだけの選手に恵まれたからといって、突出した成績に直結するとは限らないし、甲子園に出られる保証もない。例えば大阪桐蔭なら、
中村剛也(現
西武)と
岩田稔(現
阪神)は、1学年下に
西岡剛(現阪神)がいながら甲子園には出場できていない。むろん、単純比較すべきじゃないが、黄金期のPLには、なにかプラスアルファがあったはずだ・・・
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