上宮高時代は控え投手だった。東都の専修大で力をつけエースにのし上がると、チームを二部から一部に引き上げる活躍を見せた。エリート街道を歩んできたわけではなかった男が、たゆまぬ努力の末に日本を代表する投手にまで上り詰め、メジャー・リーグでも成功を収めた。そして今年、広島復帰。黒田博樹の歩んできた道のりを振り返る――。 写真= Getty Images、BBM 学生時代(上宮高~専修大)
1990年 上宮高に入学
1991年 
(2年時)秋の近畿大会準優勝エース格は西浦克拓(のち日本ハム)と溝下進崇(のち大阪ガス)の2人で、黒田は控え投手だった
1992年 (3年時)夏の大阪府大会5回戦敗退(対近大付高)。甲子園経験はなし
1993年 専修大に入学。(1年時)東都二部の秋リーグから登板
1995年 (3年時)秋のリーグ戦で1学年上の
小林幹英(のちプリンスホテル、広島)との2本柱で二部優勝。日大との入れ替え戦を連勝で制し、一部復帰
1996年 
(4年時)学生野球でもこの年の春からスピードガンが表示されるようになり、東京六大学・東都両リーグにおいて黒田が150キロ台の大台を初めて突破

12月24日 ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団
男気語録1 
――広島市内で開かれたカープの入団会見で、1位の方が良かったかと聞かれて
第1次カープ時代
1997年 プロ1年目をスタートさせる。背番号は15

4月25日 巨人戦(東京ドーム)で登板し9回1失点の内容で、初登板、初先発、初勝利、初完投。広島の新人投手で初先発初完投勝利を挙げたのは、史上4人目。巨人戦では初の快挙だった。初奪三振は1回裏に松井秀喜から
6月3日 阪神戦(西京極)で初完封勝利
大卒1年目ながら、同期の
澤崎俊和とともに先発ローテーションに入り、規定投球回をクリアした
1998年 2年目のジンクスにハマり1勝(4敗)に終わる
1999年 
11月 日本代表としてシドニーで開催された『インターコンチネンタル杯』に出場。韓国戦で勝利、台湾戦で完封勝利を収める
2000年 9月20日 巨人戦(広島市民)から閉幕まで4試合連続完投勝利。この年、9勝6敗と初めて貯金を作り、翌年以降の飛躍へとつなげた・・・
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