大きなカーブを武器に先発、抑えに活躍し100勝100セーブの金字塔を打ち立てた右腕。最優秀防御率1度、最多セーブを3度獲得した。プロ野球の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビュー。第41回はチーム力が伴っていなかった大洋で遠藤一彦とともに奮闘した齊藤明雄氏の登場だ。 取材・構成=大内隆雄写真=BBM 大学選手権の決勝で2年連続惜敗
2年目は敗者復活戦から上がってきた東海大に敗れる理不尽
プロ野球の歴史に残る“レジェンド”たちを訪ね歩くこの連載も、あと2回となった。勘の働く読者は、とうにお気付きのことと思うが、プロ野球をさも知り尽くしたような顔をして毎回えらそうなことを聞いたり書いたりしているが、実は取材・構成者はプロ野球よりも大学野球の方が好きな人間なのである。で、しばしば、大学野球の方に脱線してきた(田淵幸一氏や安田猛氏の回などいささか度が過ぎた)。大学野球があればプロ野球も高校野球もいらないとうそぶいておきます(そんなことは絶対にあり得ないにもかかわらず)。
で、取材・構成者は、今回も、大学野球から入っていく。いや、今回だけは、ここを外しては、日本野球史に目をつぶってしまうことになるからだ。プロ野球よりも大学野球の歴史的現場に居合わせたことが多いと自負する取材・構成者にとって、75、76年の大学野球選手権大会は消しがたい記憶として残っている。この2大会の決勝で先発、完投し、2度とも惜敗したのが今回登場の齊藤明雄氏である。齊藤氏は75年は駒大に延長14回、0対1で惜敗。76年は東海大に1対2でまたも惜敗(ともに完投)。「関西に大商大あり!」の印象を全国のファンに与えたのだが、それにしても、76年は悲運と言うしかなかった。決勝の相手、東海大は準々決勝で駒大に敗れているのである。ン?そうこの大会は敗者復活戦を採用していたのだ。これは歴史的な事実として言っておきたい。大商大は駒大を倒しての決勝進出。いくら敗者復活戦とはいえ、その駒大に敗れた東海大と決勝を戦う理不尽。さすがに敗者復活戦は次の年から消えたが、齊藤投手の無念や思うべし。 まあ、そういうシステムだったのだから仕方ないですよね(苦笑)。私としては、で満足だったですね。ちょっと残念だったかな、と思うのは75年の方ですね。14回に1点を取られるのですが、ここまで35回無失点でしたからねえ。それは、ともかく、ウチには9回裏にサヨナラのチャンスがあったのですが、二宮さん(至外野手、のち
巨人)の好返球でアウト。それから延々と14回まで行ってしまった。それより、相手の先発の山本泰之さんが良すぎましたよ。あれは、年1回の最高のピッチングだったそうですから。あのときの駒大は、ものすごいメンバーで、中畑さん(清三塁手、のち巨人、現
DeNA監督)、平田さん(薫二塁手、のち巨人ほか)、大宮(龍男捕手、のち
日本ハムほか)、武智(勇治一塁手)……。試合には出なかったけど森(繁和投手、のち
西武)や石毛(宏典遊撃手、のち西武ほか)もいました。まあ、強かったですよ。

大きなゆったりしたフォームから落差のあるカーブを投げ、打者を打ち取った
大洋の合宿のオンボロぶりに驚く
初勝利は甲子園での阪神戦。ホームベースが遠かった……
大学選手権のおかげで、日米野球のメンバーにも選ばれたし、プロにも注目されるようになるワケですが、私は子どものころから
阪神ファンで、大洋のことはほとんど知りませんでした。あの年(76年)のドラフトは阪神が12番目のクジを引いてしまいましたから、タイガースはないな、とあきらめていました(当時のドラフト1位指名は、まず指名の順番を決める予備抽選があり、その順位で指名していった。阪神はビリの12番クジ。ちなみに1番クジは
ヤクルトだった)。
上の方4つはセ・リーグの球団でしたから、まあ、パ・リーグかなと思っていたところ3番クジの大洋の指名。失礼ですけど・・・
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