カケさんとオレの関係はマスコミによって作られた

二軍監督に就任したカケさん。きっといい選手を育て上げ、阪神の底上げをしてくれると思ってるわ
今週号は何をテーマに書こうか……。プレミア12もいよいよ大詰め。ただ、この号が出るときには結果が出ているし、中途半端な週になってしまった。オレなりにいろいろ考えていると、そこに編集担当者から連絡が入る。
「今週はプレミア12について書くのは、厳しいと思います。そこで阪神について、書いてもらえますか?それも掛布(雅之)二軍監督について……と考えているんですが、これは難しいですかね?」
そういうことですわ。いつまでたっても掛布さんとオレとの関係が微妙と思われているんやろな。2人にはどってことないのに、若いころにマスコミによって作られた微妙な距離感……。それはいまもイメージとして残っているんやろな。
あえてカケさんと呼ばせてもらうけど、初めて顔を合わせたのは、36年も前になる。その年のドラフトで、オレは阪神に1位で指名された。それからしばらくして、関西の某スポーツ紙から、ある企画が舞い込んだ。それが
掛布雅之vs
岡田彰布の対談だった。カケさんと仲がいいトラ番記者と、東京六大学担当の記者が画策し、オフシーズンに東京で初対面したわけよ。この企画、極秘で進められたモノで、オチとして、紙面化された後、某スポーツ紙は球団から厳重注意、さらに六大学担当の記者は、しばらく取材禁止になったほどだった。
オレは22歳。カケさんは24歳。年の差は2つだったけど、カケさんは当時、もう阪神のニュースターでミスタータイガースへの階段を昇っていた時期やった。同じポジションで、年も近い。そら意識はするけど、「2人で100本塁打、これを目指そう!」なんてことを話したことを思い出す。
オレがルーキーのときから、首脳陣はカケさんとオレを競り合わせた。例えばキャンプでは2人が同じ組でフリー打撃、特守を繰り返した。そら、すごい練習量やったわ。2人とも体に自信があったから、どんなに練習量が増えても、弱音は吐かなかった。そら、すごい練習やったわな。
それが1985年の日本一に続いていくのやけど、そのころからカケさんとは食事に行ったり、飲みに行ったりすることはなくなった。別に意味はないんよ。でもマスコミが、いつの間にか掛布派、岡田派と色分けするようになって・・・
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