文=吉見淳司、写真=太田裕史 野球部以外の社員への感謝
出身は大阪府堺市。浪速高、大商大、パナソニックと大阪一筋に歩んできた男の道は、プロでも地元に続いていた。
スポーツトレーナーを目指していた
近藤大亮が初めてプロ野球選手と接したのは、浅香山中で所属していたオール住之江時代のこと。
黒田一博氏(故人)が監督を務めていたチームにある日、息子の
黒田博樹(
広島)がやって来ると、選手たちにアドバイスを送った。
「今でも鮮明に覚えています。キャッチボールのときに『左足を前に踏み出せ』と声を掛けてもらいました」
日本球界を代表する投手との邂逅に感動したが、実際にプロを意識するようになったのは浪速高に進んでから。2年秋に大阪府大会でベスト8に入るなどの実績を挙げると、プロ志望届は提出せずに大商大へ進学。1年春からリーグ戦登板を果たし、4年間で通算13勝12敗の成績を残した。最速149キロ右腕に各球団のスカウトは目を光らせたが、「プロ志望届を出していても下位指名だったと思う」とパナソニックへの入社を決意した。
社会人時代に特に伸びたのが技術面。大学までは自分のいいボールだけを投げようとして、打者のことは見ていなかったというが、「社会人ではそれが通用せず、投球術や配球を考えるようになりました」。
さらに給料をもらいながら野球をやる立場となり、「野球部以外の社員の方のおかげで、自分は野球をさせてもらっている。どうにかして社員を喜ばせたい。そういう気持ちは社会人になっていなかったら芽生えていなかったと思う」と精神面でも成長した。

プロへの意気込みに選んだのは「闘争心」。あこがれの黒田博樹のように、熱いハートでチームに貢献する
2位指名が報じられた際には大きく喜びを表すことはなかったが、「自分はまだパナソニックの人間・・・
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