水原監督のおかげで“暴れん坊”が“知恵”をつけ日本一に。そのスライダーは絶品でいまの投手とはモノが違った 文=大内隆雄、写真=BBM 
軟式野球の投手からテスト入団。月給5000円でスタートした男は、62年に日本シリーズMVPとなる[62年]
駒沢球場という、プロ野球の本拠地球場を覚えている人は、もうほとんどいないだろう。1953年の完成で、東急、東映のフランチャイズだったが、東京オリンッピックのために取り壊されることになり、東映は、61年限りで使用をやめた。それから54年。まあ、忘却の彼方──。
しかし、“駒沢の暴れん坊”という表現は、意外にしぶとく生き残っている。東映が話題になると、この表現が必ずくっついてくる。50年代後半の東映には、
山本八郎、
毒島章一、
張本勲、
西田亨(ビル西田)、
西園寺昭夫、
吉田勝豊といったひとクセもふたクセもある個性派がそろっていて、この一匹狼たちが、偶然に(?)まとまったときの強さ、楽しさは格別だったので、先の表現が生まれたのだった。そして、死語化せずに50数年の寿命を保っている。
この暴れん坊たちの中でも、いかにも「駒沢っ子」らしい、気風のよさで人気があったのが、今回の
土橋正幸。何しろ浅草育ちのチャキチャキの江戸っ子。浅草フランス座チームなどで軟式野球をやっていた投手が、パ・リーグを代表する投手になったのだから、江戸っ子ファンたちは「オレたちの代表だ」と拍手を送ったのである。
しかし、暴れん坊はしょせん暴れん坊。肝心なところでの勝ち方を知らない・・・
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