1995年、野茂英雄の挑戦を追って、多くの日本メディアもまた、ベースボールの本場に足を踏み入れた。デビューして間もなく、アメリカのファンを魅了した26歳のトルネード。ニッポン放送アナウンサーとして、試合の実況や取材に奔走したフリーアナウンサーの松本秀夫さんは、当時を感慨深げに振り返る。 取材・構成=小林光男、相原礼以奈 写真=BBM 
報道陣の取材に応じる野茂。その挑戦は、日本メディアとメジャー・リーグの出会いももたらした
日本人メジャー・リーガー活躍の黎明期を実況
ドジャー・スタジアムは、広大な駐車場があって、その西側の向こうに山並みがあって、そこに「HOLLYWOOD(ハリウッド)」と書いてあって、印象的だった。青空がいっぱいに広がっている中に球場がある、日本ではああいう景色さえないじゃないですか。
メジャーの試合の実況は、もちろん野茂が行ってから。それまでは基本的な、誰でも知っているような知識しかない。今みたいにメジャー中継をやっている時代ではなく、ネットもなかったですから、メジャーの本を買って和訳しながら、ドジャースの選手なんかを調べていました。みんなで協力してやってましたね。
当時はパンチョ伊東さん(伊東一雄氏、元パ・リーグ広報部長、メジャー・リーグ評論家)がご健在で、僕らの、解説者兼通訳兼コーディネーターみたいな役割を担ってくれた。ドジャー・スタジアムはもちろん、敵地でも、どこの球団に行ってもパンチョさんの知り合いがいた。僕らはそこに、カルガモ軍団みたいにくっついて行く感じで、本当にお世話になりました。
野茂のようなピッチャーは、実況しやすかったですね。めりはりが利いているというか。フォアボールを出しちゃうことも結構あったけれど。真っ向からストレートかフォークか、たまにカーブも投げるけど。ズドンズドンズドンときて、三振かフォアボールか打たれるかというところだと思うので、入っていきやすいですよね。
野茂は一球一球、あのフォームからしても全力でっていうのは伝わってくるから、自然にこっちも一球一球、力が入っていきますよね。ああいう、「真っ向上段、振りかぶって」っていうのは、やっぱり、カッコ良かったですからね。
実況をする中では、とにかく三振のシーンを、いかに表現するか。そこは絶対、ダイジェストで使われるんでね。三振は三振なんだけど・・・
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