野茂英雄が日本球界で躍動したのはわずか5年間だった。しかし、その鮮烈なイメージは色濃く野球ファンの脳裏に焼き付いている。トルネード投法で打者をなで切った近鉄時代を振り返る。 写真=BBM 
近鉄での5年間では通算78勝をマークした野茂
プロ初勝利は仰木監督の誕生日
運命のドラフト会議が開催されたのは1989年11月26日、東京・赤坂プリンスホテルだった。指名順トップの
ロッテから始まり大洋(現
DeNA)、
日本ハム、
阪神、ダイエー(現
ソフトバンク)、
ヤクルト、
オリックス、そして近鉄。史上最多となる8球団が野茂英雄を指名した。抽選では“残り福”を引き当てた近鉄・
仰木彬監督が誇らしげに右手を挙げる。契約金は破格の1億2000万円(金額は推定)。入団時の条件に野茂は体を大きくひねって投げる独特な投球フォームを「絶対にいじられたくない」と要望したというが、「彼はそれ以上のものをわがバファローズに運んでくる」。個性を尊重する仰木監督に異存はなかった。
大物ルーキーとして注目を浴びた野茂は連日メディアから追い回された。当初、チームには野茂が浮いた存在にならないかとの懸念があった。確かに見た目はおっとりとして、とっつきにくい無愛想なイメージを漂わせていた。だが、周囲の心配は杞憂に終わる。ムードメーカーの
金村義明が冗談を言ってほぐし、野茂のでっぷりした体形に
吉井理人が「トトロ」というあだ名をつけた。
宮崎駿アニメにちなんだもので、ナインにはこのニックネームで呼ばれてかわいがられすっかり溶け込んでいった。
注目のルーキーイヤー、オープン戦から開幕直後は不本意な投球が続いた。プロデビュー戦となった4月10日の
西武戦(藤井寺)では6回5失点で負け投手に。続く18日のオリックス戦(日生)では8回途中まで投げるも7失点。この時点で防御率は7点台まで悪化した。チームも開幕2戦目から9連敗。しかし、そんな嫌な空気を一掃したのは29日のオリックス戦(西宮)だった。先発した野茂はプロ野球タイ記録(当時)となる17奪三振。9回2失点でプロ初勝利を完投で飾った。奇しくも、この日は・・・
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