中日で首位打者と盗塁王を獲得し、監督も務めた中利夫氏が10月10日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため名古屋市内の病院で亡くなった。87歳だった。 
シュアな打撃が光るアベレージヒッター。セーフティーバントもうまかった
群馬県の前橋高から1955年に中日へ入団し、1年目こそ17試合出場にとどまったもの、2年目は中堅のレギュラーとなって規定打席に到達(打率.262)、翌年から背番号3を背負った。その後、数年は伸び悩んでいた感があったが、6年目の60年には50盗塁で初の盗塁王に輝き、打率.312もリーグ3位の好成績。そこからトッププレーヤーへの階段を駆け上がっていった。67年には
王貞治(
巨人)の三冠王を阻止する打率.343で首位打者を獲得している。
身長は168cmと小柄な選手で抜群の選球眼を誇った。打席では高めに投球が来ると腰を落とし、低めに来れば膝を伸ばし、球審から「ボール」を稼いだ。伸び縮みするその姿は「ちょうちん打法」と呼ばれ・・・
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