昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。近鉄、巨人、横浜で活躍した阿波野秀幸さん編の3回目は、1988年の「10.19」のお話の続きから始まります。 文=落合修一 
写真は89年のリーグ優勝決定
高沢への1球を変化球にした理由
──
前回からの続きです。1988年、近鉄が最後の
ロッテとのダブルヘッダー2試合に連勝しないと優勝できないという川崎球場の「10.19」。第1試合の4対3とリードした9回裏無死一塁、カウント2ボールから阿波野さんがリリーフしました。
阿波野 1点でも取られたら優勝が消える場面で満塁にされましたが、無失点で勝利。それは良かったのですが、第2試合の開始まで20分しかありませんでした。野球界は、今後のために考えてほしいです。あんなにヒートアップして第1試合が終わったのに「次は20分後です」というのは選手が大変ですよ。
──ダブルヘッダーはもうないかもしれません。
阿波野 CSとか、日程や天候の関係で絶対にないとは言い切れません。イニングや時間に左右される「10.19」のようなことは二度と起きてほしくないですね。
──第2試合の話に行きましょう。阿波野さんと直接関係する部分まで端折りますが、8回表に近鉄が4対3と勝ち越し、その裏からリリーフ登板しました。
阿波野 残り2イニングをゼロに抑えれば優勝が決まるところでした。
──ところが、一死無走者の場面で、この年の首位打者になるロッテ・
高沢秀昭選手が同点ソロ本塁打。
阿波野 捕手の山下(
山下和彦)さんからのサインはストレートでしたが、僕はスクリューボールを投げました。そのほうが「本塁打を打たれない」と思ったからです。高沢さんに単打を打たれても、そのあとは何とかなる。本塁打だけ警戒すればいいので、直球よりも沈む系のボールがいい。実際に、その打席で空振りを取っていたのはそのボールでしたから、僕は手堅くスクリューボールを選んだのでした。結果はうまくいきませんでしたけど。
──打たれたときは。
阿波野 頭の中は真っ白で、何も考えられませんでした。その時点では時間のことは意識していません。同点にされ、二塁から
大石大二郎さんが来て「まだ終わってないからな」と言われ、確かにそうだと。そこで頭を切り替え、これ以上点を取られないようにと思い直しました。
──9回表は無得点で、4対4と同点の9回裏のロッテの攻撃。無死一、二塁で二塁走者(
古川慎一)を牽制アウトにした際に、二塁手(大石)が接触したプレーについてロッテ・
有藤道世監督が塁審に抗議します。
阿波野 あのときですよ。あの抗議のときに初めて・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン