
この年から巨人の打撃コーチに就任した「外様」の荒川博[左]はほかのコーチから打撃不振を責められ、「今日は一本足で打て」と22歳の愛弟子・王貞治に命じた
堪忍袋の緒が切れ、「一本足で打て!」
「ウチが勝てないのは打者が打てんからだ!」
巨人のヘッドコーチ・
別所毅彦の怒鳴り声が川崎球場の監督室に響いたのは、1962年7月1日、大洋対巨人のダブルヘッダー第1試合前のこと。降雨のため試合開始が遅れたことにより急きょ開かれた首脳陣ミーティングでの席上だった。
その日の時点で前年日本一の巨人の順位は、首位大洋と4.5ゲーム差の3位。6月20日からは6連敗を喫した巨人は優勝戦線から遠ざかりつつあった。
低迷の原因は打線の不振による深刻な得点力不足だった。頼みの
長嶋茂雄は不調で、あとに続く者がいなかった。22歳になったばかりの王貞治は当時まだ通常の打撃フォームで、開幕四番を任されるなど期待されたものの成績はパっとせず、打率は2割6分前後。ホームランは6月7日の大洋戦(後楽園)で第9号を放って以来止まっていた。前日の大洋戦ではエースの
藤田元司が先発し好投するも最終回にサヨナラ弾を浴びて0対1で敗れている。「鬼軍曹」別所のいら立ちは当然だった。
やり玉に上がったのは打撃コーチの荒川博だった。前年大毎オリオンズで引退したばかりの31歳。当時としては珍しい他球団出身コーチである。母校・早実高等部の後輩で「安打製造機」と呼ばれた
榎本喜八を指導した荒川の手腕を買った
川上哲治監督が、同じく高校の後輩である王の才能を開花させるために招いたのだった。荒川はその期待に応えようと王を連日自宅に呼び、マンツーマンで指導していた。しかし王のバットからは快音が聞こえなかった。
「王はあの程度しか打てないのか。王が・・・
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