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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1967年10月1日>西本監督が涙した阪急創立32年目の初優勝。黄金時代がここから始まる

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西本幸雄が阪急の監督に就任して5年目。球団創立32年目の初優勝は、1978年のヤクルト[29年目]、79年の近鉄[30年目]より遅かった


信任投票の結果に一度は辞任を決意


 阪急監督の西本幸雄が西宮球場の会議室に選手たちを集め、紙と鉛筆を配ったのは1966年10月14日、秋季キャンプ初日のことだった。

 開口一番、西本は言った。

「俺について来られる者は〇を、嫌な者は×を書け」──

 36年の誕生以来、阪急は一度も優勝がなく下位に低迷し続けた。そんな「灰色の球団」の監督に43歳の西本が就任したのは63年のことである。1年目は最下位。64年こそ2位に浮上したものの、翌年以降は4位、5位。基本を重視し、選手を厳しく指導した西本のやり方に、練習よりも遊びが好きな一部のベテラン選手は反発した。反西本派のフロントと一緒に酒を飲んでは監督批判を繰り返す始末だった。チームが空回りしていると西本は考えていた。

 それでも西本は、選手たちは心の底では自分を信頼してくれていると思っていた。それを確かめるため、監督による「信任投票」という異例の手段を取ったのだった。

 結果は〇が32票、×が7票、白票が4票だった。悪い「支持率」ではなかったが、×は1票もないはずだと思っていた西本はショックを受けた。「これ以上指揮を執ることはできん!」と言い残して部屋を出ると、そのまま帰宅。監督辞任を決意した。

 反西本派の球団社長は、これ幸いとばかりに小林米三オーナーのもとに報告に向かった。しかし小林は・・・

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