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必ず何かが起こる“運命の日”

ドラフト事件史アラカルト

 

江川に始まり、桑田、清原……。ドラフトには“事件”がつきものである。指名をめぐる駆け引きはドラフト当日まで続き、会場でのアクシデントも少なくない。ここでは、指名重複に端を発したエピソードをひも解いてみたい。

1994年 3球団が熱視線も進学希望、ダイエー強行指名の結末は…


 社会人、大学選手の1、2位に「逆指名」を認めるルールが適用された2年目に、早くも問題がぼっ発した。これにより多くの球団が逆指名選手を2位にし、将来性ある高校生を1位指名した。その結果、紀田彰一(横浜高)に横浜、中日が、嘉勢敏弘(北陽高)にオリックス、近鉄が競合。その数、実に7球団。

 そんな中、競合以上に会議場を沸かせたのがダイエーによる城島健司(別府大付高)の“強行”指名である。というのも、城島はすでに駒大進学が決まっているとされていたからだ。これにより現場は混乱。プロ志望ならば、1位指名重複は確実な大型捕手である。ある球団関係者からは「駒大進学が決まっているというから、ウチは指名しなかった。せっかくプロとアマチュアが仲良くやっていこうというときなのに……」という恨み節が漏れた。

 一方、受け入れ先と言われていた駒大・太田監督は「驚いたが、抗議はしない」と静観の姿勢。アマ関係者も「ルール違反というわけではないので、なんとも言いようがない」と苦笑いを浮かべるしかなかった。

 監督に就任したばかりのダイエーの王貞治監督はドラフト会議後、「すぐ説得に行く。一緒にバッティング練習をして、ホームランの快感に酔おうよ」と熱烈ラブコール。世界の王のメッセージは「巨人志望」と言われていた城島の心に響き、入団に至ることに。だが、このトラブルを機に、プロ拒否選手はスカウト会議の決定を待たずに指名できないことになり、契約金の上限1億円、「後払い制」もスタートしている。

紆余曲折を経て、城島のダイエー入団が決まった



1995年 赤フンドシで「ヨッシャー!」、7球団競合を制したが…


 95年、PL学園の先輩・清原和博の6球団を抜く、高校生史上最多となる7球団の指名を受けたのが福留孝介だった・・・

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