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勝利のカギ握る最強リリーフ伝説

高津臣吾が語る「リリーバーの条件」

 

現在は古巣ヤクルトの一軍投手コーチとして投手陣の育成に力を注いでいる


高津臣吾が持つ286セーブという数字は、岩瀬仁紀(中日)に次ぐ歴代2位の記録だ。プロ3年目でリリーフ投手となり、1993年、ヤクルトの日本一の際には胴上げ投手にもなった。最優秀救援投手を4度獲得し、メジャー・リーグの舞台でもクローザーを務めるなど数多くの舞台で経験を積んできた高津が語るリリーフ投手とは。

楽なことなんて何一つない


1991年にドラフト3位でヤクルトに入団し、何とかこの世界で生き抜こうと、ただがむしゃらに努力を重ねたどり着いたのがクローザーというポジション。振り返れば苦しいことばかりだった。

 僕が一番感じていることは、プロに入って野村(克也)監督と出会い、捕手に古田(敦也)さんがいた、この縁がすごく大きいということ。もちろん、野球人生すべてにおいて人との出会いには感謝しています。その中でも抑えで、リリーフの1人としてそれなりの数字が残せたというのは、リリーフに適していると見抜いてくれた監督であり、リードしてくれた古田さんの存在があってこそですので、忘れてはいけない方だと思っています。

プロ入団3年目、野村監督によってリリーフに配置転換となった高津は、その後球界を代表するリリーバーヘと成長していく



 リリーフとして投げるようになったのが、3年目の開幕して1カ月経ったくらいのときですね。そのあたりからリリーフのポジションがだんだん下がり、一番後ろになりました。

 先発への未練はまったくなかったですね。僕はプロの世界に入ったときに「どうやってこの世界で生きていこう」と。やっぱり先発の5、6人に入るのはすごく大変なことですから、頭にあったのは12、3人いる、この一軍のベンチにどうやって入ろうかということばかり。そのためには先発だろうが、リリーフだろうが何でもいいからそのメンバーに入りたいと、それしか考えていませんでした。

 まあでも、こうやって振り返ると、楽なことなんて一つもなかった。もちろん野球選手はみんなそうかもしれませんが、特にリリーフピッチャーというのはしんどいことばかり。それは、プレッシャーによる精神的な部分と、毎日投げなきゃいけないという肉体的なつらさと、すべてが入り混じっていて、それらを特に強く感じるポジションですからね。

 僕は切り替えがうまい方ではなかったんです。次の試合、そのまた次の試合まで引きずってしまうタイプ。うまくシーズンが流れていってても、一度パッと切れてしまうと、そこから失敗が続いてしまうこともありました。それは明らかに精神的なもの。投げる球自体はそんなに変わっていなくても、気持ちの部分で負けてしまっていたことは何度かありましたね。意外に思われるかもしれませんが、抑えの人はみんなそうなんですよ。以前、佐々木(主浩)さんや岩瀬(仁紀)と話をする機会がありましたが、2人とも簡単なポジションではないという話をしていました。佐々木さんでも切り替えるのはすごく難しかったと。それを聞いてあらためて、そういうポジションなんだなと感じましたね。

 とにかく9回は・・・

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