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継投によるノーヒットノーランを達成した則本、西、牧田、西野(右から)。侍ジャパンは3連勝で、1990年以来の日米野球勝ち越しを決めた


80年の歩みを証明


 80周年を迎えた日米野球で、侍ジャパンが歴史的快挙を成し遂げた。並み居るメジャーの強打者を相手に4投手が1本の安打も許さず、継投によるノーヒットノーランを達成。もちろん、史上初の出来事だった。

 快進撃の口火を切ったのは先発の則本昂大。「捕手が(楽天でチームメートの)嶋(基宏)さんだったので普段どおりに投球できた」と立ち上がりから150キロを連発。

「ドームだったので汗がしっかり出て、手のひらが湿った状態で投げられました」とWBC使用球の影響を感じさせず、自己最速の155キロをマークしながら4回までに6奪三振を積み重ねた。一人の走者も出さないまま、5回を60球で投げ切ると、強制交代となる球数80球までは余裕があったものの、当初の予定どおりマウンドを降りた。

「真っすぐで空振りが取れたし、変化球も思いどおりに投げられたのでそこは自信を持っていいと思います。4、5回と序盤よりは制球に苦しんでいたのでいい代え時でしたし、WBCで勝つためにはその継投は当然だと思います」とプロ2年目とは思えない落ち着きようだった。

 則本の後を継いだ西勇輝は先頭のデューダに四球を与えたが、「申し訳ないなと思いましたが、切り変えないといけなかった。丁寧に低めに投げることを心がけていて、両サイドに投げ分けることができました」と後続を断ち、7回にも先頭のカノに死球を与えたものの、次打者以降を抑えて2回を無安打投球。4奪三振で付け入るスキを与えなかった。

 歴史的瞬間にいよいよ場内の期待が高まる中、3番手としてマウンドに上がったのは牧田和久。「ブルペンで吐きそうだった」と2四球を許しながらも、2つの三振と一塁ゴロで何とかピンチを脱した。

 そして最終回、第1戦でもクローザーを務めた西野勇士がリリーフ登板。「ブルペンでは(則本の)次に投げるのはプレッシャーだなと話していたんですけど、西も牧田さんも打ち勝ってゼロに抑えてきたので、僕も続くしかない」とマウンドへ。アルトゥーベ、モーノーの両リーグ首位打者を含む二番からの好打順だったが、三振と2つの内野ゴロで三者凡退に斬って取り、ついにノーヒットノーランを達成した。

 1934年の第1回日米野球で日本代表は、ベーブ・ルースらを擁するアメリカ代表に16戦全敗を喫した。それから80年後の完勝は、日本野球の進歩を証明する価値のある白星となった。

先制の2ランを放った坂本は「初球から思い切って振り抜くことができた」と笑顔



7回無死、先頭打者のカノは西から死球を浴び、右足小指を骨折。残念ながら以降の試合は欠場に



侍セレクション


#13 中田 翔



日本の四番が初本塁打

 小久保監督の就任以降、常に四番に据えられてきた男がついに代表初本塁打を放った。2対0の3回一死一塁、ガスリーのツーシームをとらえた打球は弾丸ライナーで左翼スタンドに突き刺さった。前日までの2試合で8打数1安打。小久保監督は「やっと打って良かった」と喜んだものの、中田本人は「今日打っただけ。全体的に満足できるものではない」とさらなる巻き返しを誓った。
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