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始動日の1月7日、故・島岡吉郎元監督像の前で新年の決意を新たにした。



背番号1を背負った理由


 報道陣約10人を前に異例の“公開ミーティング”が始まった。明大・善波達也監督は昨年12月22日、高山俊に冬休みの“宿題”を与えていた。今春に何番を着けるか──。選手に希望ナンバーを考えさせるのも超異例。これには少々、説明が必要だ。

 日大三高で3年夏の甲子園で全国制覇を遂げた高山は1年春からレギュラーで、1年間は「38」を着けた。同春に20安打の鮮烈デビューを飾ると、秋も16本。驚異の超ハイペースぶりに、明大の先輩である高田繁氏の持つリーグトップ127安打の記録更新に、早くも期待が集まった。

明大・高山俊の東京六大学リーグ戦成績


 明大は故・島岡吉郎元監督時代から、レギュラー選手は高校野球のように、ポジションの一ケタ背番号を着ける流れがあった。右翼手の高山は2年春に「9」が手渡されている。だが、春秋で計26安打と、1年時の勢いから比べるとやや停滞した。

 2年時終了で62安打。マイペースな部類に入る性格の高山に対して、善波監督は「いつも意識させておかないといけない」と、3年春には100安打までの残り本数である「38」を着けさせた。常にチームの勝利を第一として動く男だからこそ、指揮官も最大限の配慮を見せたのだ。

 3年春は19安打。大台まで19本で、秋は「19」が候補となったものの、投手番号のため回避。善波監督から「100を超えろ!」との激励も込めて「20」が与えられた。リーグ制覇に貢献した同秋は19安打、ちょうど100本で3年間を終えている。高田氏は3年秋の時点で97安打。高山はリーグ史上初めて同秋で100安打に達したのだった。

 48年ぶりのリーグ記録まで27本。果たして4年春は? 周囲は高山の背番号に興味津々。そこで、善波監督は“宿題”を出したのだった・・・

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