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「人の数だけドラマがある」とはよく言ったもので、野球界に置き換えてみても、選手の数だけドラマはあるものだ。不調からの復活、ケガからの復帰、ユニフォームを変えての再出発――。2015年に懸ける男たちをキャンプでも注目したい。

巨人・内海哲也投手
エースとして歓喜の輪の中心に


 何をやっても、うまく回らない。2014年の内海哲也には、そんな思いが芽生えていたのではないだろうか。11年(18勝)、12年(15勝)の最多勝をはじめ、プロ11年のキャリアで6度の2ケタ勝利と、押しも押されもしない巨人のエースが、先発ローテーションに定着した06年以降、最も苦しい1年を過ごした。

 開幕投手を2年目の菅野智之に譲り、14年初登板となった4月1日のDeNA戦(横浜)から、9試合連続の未勝利。投球内容が悪いわけではない。その初戦も、8回1失点と先発の責任を果たしている。ただ、抑えても援護をもらえず、終盤に失点という負のスパイラルから、なかなか抜け出すことはできなかった。気が付けば、交流戦に突入。「自分は次の登板に合わせて、しっかり調整するだけです」と、周囲に弱さを見せなかったのは、せめてものエースの意地だったのだろう。

 自身10試合目、5月29日の楽天戦(東京ドーム)で、7回無失点の好投で初勝利。ファンに向かって、「遅くなってすみません」と頭を下げた。「いつか、こういう日が来ると思って、一生懸命頑張りました」。しかし、悪いことは重なる。初勝利で巻き返しを期待された矢先、先発予定だった6月4日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)を前に左肩痛を訴え、登板を回避した。診断結果は「左肩腱板の一部の炎症」。長くつらいリハビリが約1カ月続き、復帰は7月14日までずれ込んでしまった。

 リーグ3連覇を決めた9月26日のDeNA戦(横浜)で先発し、勝利投手となったことだけが14年の明るい話題。通算115勝の左腕が年間7勝では到底満足がいくはずがなく、球団創設80周年の記念の年に、CS敗退も投手陣を引っ張るエースにはこたえていた。

「去年は前半に苦しんだので、今年は前半から飛ばしていきたい。目標は4連覇と日本一。個人的には15勝以上を目指します」

 CS敗退後もトレーニングを続け、2年ぶりに地元京都・京田辺市での元日始動は、「やっぱり、京都で始動しないと。京都でやると、成績がいい」と縁起を担いでのものだ。6日には恒例のグアム自主トレへと旅立ち、宮國椋丞今村信貴らも同行させ、ある意味、チーム内ではライバルでもある彼らの若さに刺激を受けつつ、自らを徹底的に追い込んだ。

 宮崎キャンプを前に、22日に帰国。「良い練習ができました。いつでもブルペンに入れるぐらいまでランニングも肩も仕上がった」と真っ黒に日焼けした顔に充実感を漂わせた。グアムでは「フォーム固め」に時間を割き、昨季のような不調の時期を短くする手を打っている。

▲グアム自主トレでは若手に刺激を受け自らを追い込んだ内海。今季に懸ける思いは強い



 15年はもう、感情を押し殺すことなどしない。歓喜の輪の中心には、常に自分がいることを想像している。

中日・浅尾拓也投手
不動のセットアッパーへ返り咲き


 投手王国を築いた中日にあって、浅尾拓也は間違いなくその中心であり、不動のセットアッパーだった。

 思い出されるのは2011年のリーグ制覇だ。中日の優勝は球界にとってまったくと言っていいほど異例の出来事だった。チーム打率は.228、総得点は419。両部門ともにリーグワーストの成績でリーグ優勝を果たしたのは、この年の中日しかないのだ。

 そんな援護の少ない攻撃陣をカバーした、投手陣の中心が浅尾だった。09〜11年までの3年間の登板数は218試合に上る。1年の平均登板試合数は70を超える大車輪の活躍ぶりだった。

 そんな右腕が下降線をたどったのは翌12年。肩痛が襲った。肩が治ったと思ったら、ヒジに痛みが走った。その繰り返しだった。

「かばうつもりはないんですけど、結果として負担がかかる投げ方だったのかなと思います」と振り返る。12年からの登板数は29試合、34試合、昨季にいたっては22試合。3年間にわたって成績が落ち込んでしまった。

 チーム内の投手構成も変わった。昨季は福谷浩司又吉克樹が台頭。福谷は両リーグトップ72試合に投げ、今季はクローザー候補で、チーム内では今や、福谷と又吉に光が当てられる。

 だが、今年31歳を迎える右腕が今季に懸ける思いは強い。「3年間、結果が出せなくて、もう立場もない。挑戦できる後輩がいるということはいいことだと思っています。そのポジションを奪いたい」。年下の福谷、又吉に挑戦状をたたきつける立場になった。

 昨オフから取り組んだ新しいトレーニングが実を結ぶことを願っている。今年50歳を迎える山本昌や、昨季に最多勝と防御率の2冠に輝いたベテラン・山井大介らが通う鳥取のトレーニング研究施設

「ワールドウィング」の門をたたいた。打者ではイチロー(マーリンズ)が取り入れる、初動負荷に基づいたトレーニングに取り組んでいる。

 オフには12月に鳥取へ行き、1月上旬にグアムへ。その後、再び鳥取へ向かっている。復活のテーマは肩を休ませないこと。短いキャッチボールでもいいので、毎日少しでも投げている。グアム自主トレでは60メートルの遠投をこなすなど肩の状態は上向きだ。

 天国の父にも復活の姿を見せたい。オフに、父・美国さんを肺がんで亡くしている。

「父にほめられたことは一度もなかったです。プロに入ったときにも『絶対に通用するわけない』と言われました。でも、愛情ある父親でした」

▲台頭してきた福谷、又吉に負けじと己にムチを振るう浅尾。天国の父にも再起を誓う



 チームは2年連続でBクラスに沈んだ。セットアッパーとしてチームを支えた浅尾の低迷は、チームの順位に直結している。浅尾が本来の姿でシーズンをフル回転したとき、浅尾自身も、チームも笑顔になれるはずだ。

ロッテ・井口資仁内野手
ベテランの存在感を見せつける1年に


 2013年シーズン、井口資仁は個人としては充実の1年を送った。打率は惜しくも3割に届かなかったものの(.297)、23本塁打、83打点は堂々のチームトップ。ファーストコンバートにより負担が軽減されたことによって打力に磨きがかかり、欠かせない主軸として1年間チームをけん引した。

 また、7月には連勝街道を突き進んでいた田中将大(当時楽天、現ヤンキース)から本塁打を放ち、日米通算2000安打を達成。大きな節目に到達し、次なるシーズンも「いろいろなことにチャレンジして、どこまでできるか挑戦したい」と意気込んでいた。だが……。

 14年も“春男”らしく、4月までは順調だった。4月終了時点で27試合に出場し、打率.295、5本塁打、16打点。例年ならばここからエンジン全開か、と期待された矢先に悪夢が襲い掛かった。

 5月中旬から右手中指、薬指、小指に腫れが出るようになり、練習もままならない。「指を痛めてから全然バットを振れなかった。5月以降はバッティングをしている、という感じではなかったですね」と振り返るように、5、6月は計1本塁打。スタメンから外れることも多くなり、9月15日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)を最後に試合出場も見送られた。

 終わってみればチームは4位と低迷。自身も09年のNPB復帰以来最少の109試合出場にとどまり、同年以降では初めて規定打席にも届かない悔しいシーズンとなった。

 不振の原因となった右手中指は左手の1.5倍ほどまでに腫れ上がり、一時は手術を考えるほどの重症だったが、「手術をしても劇的に良くなることはない」と理学療法による治療を行い、現在では練習に支障がないほどに回復した。

 1月7日〜20日には、阪神残留を決めた鳥谷敬らとともに毎年恒例の沖縄合宿を行い、順調に調整を重ねている。

 昨年12月に40歳の誕生日を迎えた。チームでは最年長で、“キューバの至宝”デスパイネや、2年目の井上晴哉ら年下の選手との一塁、指名打者争いが待ち受けているが、「誰が相手、というよりも自分がしっかりしないといけない。自分の中では年齢は関係ないし、毎日が勝負という気持ちは18歳でも40歳でも変わりません」と闘志を燃やす。

▲指の腫れも回復し、順調に調整を重ねている井口。今季は勝利打点、出塁率にこだわる



 今季に意識する数字は勝利打点と出塁率だと話す。「そこを稼がないといけない。チームの勝利にこだわっていきたい」と井口。いま一度、若手たちの高きカベとして、そしてチームの顔として、ベテランの存在感を発揮するつもりだ。

ヤクルト・由規
長いリハビリを経て帰ってきた剛速球右腕


 かつて160キロの剛速球を誇った由規が、一軍のマウンドから遠ざかって3年以上が経過した。2011年9月3日の巨人戦(神宮)を最後に、右肩に痛みを訴えて戦線離脱。速球を投げ込むことへの反動が出たのか。由規が当時を振り返る。

「きっかけは分からないんです。ただ、あのときはここまでかかるようなものだと思いませんでした」

 仙台育英高時代、中田翔(大阪桐蔭高→日本ハム)、唐川侑己(成田高→ロッテ)とともに高校BIG3と騒がれた。07年秋の高校生ドラフト1巡目でヤクルトに入団すると、1年目から2勝、5勝、12勝をマーク。ケガをした11年は7勝を挙げていた。しかし、由規の故障も影響し、チームは中日に優勝をさらわれた。

 12年4月、練習試合に登板後、痛みが再発して離脱。5月には左ヒザの剥離骨折も判明し、この年はプロ入り後初めて一軍登板なし。13年4月11日に内視鏡による右肩のクリーニング手術を受けた。

「手術をしたからといって、投げられるとは限らない。最後は開き直ったようなもの。いま投げられているという現状は、手術前には想像できなかったので(手術の)選択は正しかったと思っています」

 同年8月にキャッチボールを再開。右肩の状態は一進一退だったが14年1月に投球練習を再開した。そして6月14日。イースタン・リーグ混成チーム、フューチャーズ戦(戸田)で実戦復帰。約2年2カ月ぶりに立ったマウンドで1回を無安打無失点。直球の最速は155キロを計測した。

「やっと、たどり着いたという感じですね。手術をして、ここまでスピードが戻るとは思わなかった。自信になりました」

 8月6日のイースタン・リーグの巨人戦では5回3失点。二軍戦とはいえ1069日ぶりに白星を挙げた。11月の松山秋季キャンプには4年ぶりに参加。四国社会人選抜との練習試合に先発し、2回無安打無失点。復活をアピールした。

「秋のキャンプでは、忘れかけていた一軍の雰囲気を味わえました。ただ肩の不安は一生、背負っていくものだと思っています。若い選手もたくさん出てきましたし、僕の実績はゼロ。でも、今年はチームに恩返しができると思います」

 再起への願いを込めて、昨年末はパワースポットとして知られる、京都・伏見稲荷大社の本殿奥にある千本鳥居を訪れた。年末は30日まで体を動かし、元旦に始動。年明けは故郷の仙台市内の大崎八幡宮で初詣。おみくじは大吉だった。1月は沖縄で自主トレーニングを行った。パワースポットの効果か、自らの思いの強さか、ここまでは順調だ。

▲春季キャンプも一軍メンバーに選ばれた由規。11年以来遠ざかっている一軍での白星を目指す



「神宮のマウンドに立ったことを想像すると、モチベーションが上がります。一軍復帰のマウンドは神宮しか想像できない」

 まだ25歳。15年こそ長いトンネルから抜け出し、復活のシーズンにしたい。

ソフトバンク・本多雄一
「復活」=「盗塁王奪還」


 鷹の韋駄天が、ケガに泣かされた3年間と決別し、自慢のその足で再び輝きを放つ。3年ぶりの日本一に輝いた昨季、本多雄一は8月に左手薬指を骨折し、その後のシーズンを棒に振ったこともありわずか23盗塁に終わった。2010年に59盗塁、翌年に60盗塁をマークして2年連続の盗塁王に輝いた男にとっては、寂し過ぎる数字。持病の首痛などの影響もあり11 年を最後に全試合出場もなく、昨季はレギュラーとなった07年以降初めて出場が100試合を下回った。悔しさを味わい続けた快足男が、球団初の連続日本一を狙う今季、工藤公康新監督の下で「復活」を狙う。

 本多にとって「復活」=「盗塁王奪還」だ。「勝つために常に先の塁を狙い、その積み重ねで自分が盗塁王になる。盗塁はスタートを切る勇気と成功率が大切。走らせたらセーフになると相手に思わせれば、自然と数もトップになる」。阪神との日本シリーズを制した後、ほかの主力陣が免除された中で、昨秋の宮崎キャンプは完走。4年ぶりの盗塁王に向け並々ならぬ決意をもって汗と土にまみれたが、今オフにはそこへ向けて、意外なところからもヒントを得た。

 1月初旬。都内でタレントの武井壮と会う機会があった。ユニークなキャラクターで知られるが「キング・オブ・アスリート」と称される陸上の十種競技の元日本王者。アスリートとして培ってきた独自の理論を持つ武井に「走り」についての質問をぶつけた。「どうやったら足がスムーズに動くのか。あらためて話したら、忘れていたことも言ってもらえた」。それをもとに、1月上旬から行ったグアム自主トレでは、“新走法”の練習に着手。「跳ぶイメージ」で走っていた以前と違い、上下動をなくす感覚で走ることで「10、11年に近い感覚。思ったよりも進んでいる」と、2年連続盗塁王に輝いた両年を引き合いに、スピード感の「復活」に手応えをつかんだ。

 3年連続のタイトルを狙っていた12年、4月のロッテ戦(QVCマリン)で首痛による途中交代を強いられ、10年4月から続いていた連続フルイニング出場が途切れた。その後もケガなどに泣かされ、ここ3シーズンは年々出場試合数が減少。昨季終盤も、故障離脱していたことでテレビ中継を見る日々が続き悔しさを味わったが、そこで気づかされたこともある。

「8、9月は走れるチームが強い。何か嫌だなと思われるように走っていきたい」

▲“新走法”の練習に着手し復活の手応えをつかんだ本多。4年ぶりの盗塁王奪還を目指す



 60盗塁で2年連続盗塁王に輝いた11年はチーム盗塁数も180だったが、昨季のチーム盗塁数はリーグ3位の124盗塁にとどまった。「寂しいですね。機動力野球のホークスですから。今年は去年より充実していて、動きもいい」。4年ぶりの盗塁王奪還による復活に自信をみせる本多が、その足で球団史上初の連続日本一に貢献する。

広島・新井貴浩
実績を捨て、古巣・広島への恩返し


 輝かしい実績はかなぐり捨てた。新井貴浩は8年ぶりに復帰した古巣・広島で、原点から復活を目指す。野球人生の集大成とも言える時期。古巣復帰の大きな決断を下して以降、新井は同じフレーズを繰り返してきた。「泥にまみれて、もう1度初心に帰ってやる。優勝に貢献したい」

 広島は2年連続3位に入り、24年ぶりの優勝も現実味を帯びている。1度も優勝を経験していない新井にとってもそれは悲願だ。目の前にチャンスがある。例年以上に、新井は燃え上がっている。

 広島時代の2005年に本塁打王、阪神移籍後の11年には打点王を獲得した。だが、右肩の故障もあって出番が減り、阪神がゴメスを獲得した昨季は代打での出場が多くなった。「もう1度、勝負したい」。自然とその感情が芽生えていた。そしてオフに自由契約を申し入れ、真っ先に声を掛けてくれたのが広島だった。年俸は推定2000万円。阪神時代から10分の1になり、2200万円だった入団4年目と同じ水準になった。だが、勝負できる環境があれば、それで十分だった。新井は言う。

「広島に恩返しがしたい。悩みました。本当に自分が帰っていいものか。もう1度勝負がしたかった。1人で決断しました」

 オフはこれまで以上に精力的に体を動かした。年末に新井と会食した緒方孝市新監督は「今季に懸ける意気込みはすごく伝わってくる。それじゃキャンプで終わるぞ、というくらいにね」と笑った。攻守走すべてに完成度を高め、フィジカル面も見つめ直した。メンタル面では恒例の護摩行で精神を研ぎ澄ませた。参加した合同自主トレでは同期入団の東出輝裕から「動けているからびっくりした。体も強い」と言われるほど、仕上げてきた。

 春季キャンプは一軍スタートが決まり、いよいよ新井の戦いが始まる。三塁は広島では激戦区だ。堂林翔太梵英心田中広輔に加え、成長著しく、内外野守れる鈴木誠也もいる。3年目の美間優槻も秋季キャンプの成長が評価され一軍切符をつかみ取った。新井の立場は挑戦者。年齢も考慮されフルメニューをこなすわけではないが、激しい争いに勝たなければレギュラーはない。

▲野球人生の集大成を迎え古巣への復帰を決意した新井。2000安打も視界にとらえる



 通算2000安打も視界にとらえる。新井自身は「そのために野球をやっているわけではない」とこだわりはみせないものの、現在1854本で、あと146本。復活がかなえば達成も現実味を帯びてくる。待ち受けるのは平たんな道ではないが、それでも大きく笑う顔からは、野球を心底楽しんでいるように見える。新井は振り返ることはない。ただ真っすぐに、前だけを見つめている。
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