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特集・1985年猛虎が今、よみがえる!

伝説の最強助っ人バースが語る80年代のプロ野球

 


阪神ファンには「神様」と崇め奉られていた存在だ。1985年、三番としてクリーンアップの先陣を切り、当時の日本記録にあと1本に迫る54本塁打をマークするなど三冠王を獲得。チームを日本一に押し上げた打撃は伝説となっている。球団史上最強助っ人が語る、85年シーズンの記憶とは――。
取材=池田晋 構成=小林光男 写真=菊田義久、BBM

掛布が四番だったからあれだけ打てた


──1985年は優勝した最高のシーズンとなりましたが、チームの雰囲気はどうでしたか。

バース 安藤(統男)さんが辞任されて、監督が吉田(義男)さんに代わった。辞めたときのことをよく覚えているよ。私はスタメンを外され、ベンチで安藤さんが話すのを聞いていたんだ。ある打者を歩かせ、次の打者が打席に向かったとき「この選手が三塁打を打ったら、私は辞める」と宣言した。すると、その選手がフェンス直撃の三塁打を放ったんだ。それで安藤さんは辞めると言って去った。でも、安藤さんがチームを一つにまとめた功労者だったんだ。

 掛布(雅之)、真弓(明信)、岡田(彰布)を起用してあのチームを作り上げた。彼が85年も指揮を執らなかったのは悲しいことだ。84年シーズンが終わったときに、私と契約を延長するのも彼が決断したこと。彼のことは今でも尊敬している。安藤さんには悪いことをしたと思う。もし、85年も監督を続けていたら、同じように阪神は優勝したはずさ。

──つまり、85年の優勝は84年の安藤さんの力があったからこそ。

バース そういうこと。85年に急に強くなったのではなく、84年から徐々にチームが強くなっていったのさ。そこで出たのが、85年のシーズン序盤で槙原(寛己)から放った3連発だよ。あれで、巨人を倒せる自信が芽生えたのが大きかったね。

──4月17日の甲子園、バックスクリーン3連発のことですね。

バース 槙原は155キロくらいの速球を投げる、若くてイキのいい投手だった。私が打ったのは134キロくらいの変化球。速球は速くて球威があるから、変化球を投げてくれてラッキーだったよ。続いて掛布、岡田も打った。みんないつも話していたのは「巨人を倒さないといけない」ということ。バックスクリーン3連発もあって3連勝したんじゃないかな。そこからチームは勝てると自信を持ってプレーし、さらによくなっていった。佐野(仙好)、北村(照文)ら、ほかのみんなも素晴らしかった。誰もが自信を持ってプレーしていた。

強打を発揮して85年には54本塁打をマークした



──あなたと掛布、岡田と続く打線は非常に怖いものだったと思います。

バース まず、真弓の存在が大きかった。彼が一番で登場してホームランを打てば、1点リードでチーム全体がリラックスして良いプレーをできるんだ。何本打ったか覚えてないけど、優勝への貢献度はかなり高かった。先頭打者ホームランをよく(6本)打ったんじゃないかな。私のあとに、掛布、岡田と続いていたのは、相手投手にとっては厄介だっただろうね。

 私を歩かせたら掛布がホームランを打つし、掛布が歩かせられれば、岡田がホームランを打つ。相手投手には大きなプレッシャーをかけられたと思うよ。また、掛布が私のあとを打っていなければ、私が残した数々の記録はどれも達成できなかったはず。左打者が2人続くのも良いポイントだったと思う。

──掛布さんの打ち方を参考にしたと聞きました。

バース 掛布の構えは私とは異なるもの。打ち方も違う。彼は私よりも下半身を上手に使っていた。それは大いに参考になったね。私はもともと上半身の力に頼る打ち方だったが、レフト方向へ強い打球を打つには、下半身のパワーを生かすことが必要だった。練習で意識して、下半身の使い方はだいぶ改善されたと思う。掛布の打ち方は私だけでなく、すべての選手にとって良いお手本となる素晴らしい打撃技術だった。



──ほかに当時の打者で参考になったのは?

バース あのころは素晴らしいバッターが多かった。ブーマー(阪急)、リー兄弟(ロッテ)。他球団の外国人選手ともとても仲が良かったんだ。東京に来たときには、みんなでよく集まったものだ。本当に楽しかったよ。日本人も素晴らしい選手が多かったけど、あのころは阪神の選手が一番調子良かった。

──同時に三冠王を獲得した落合博満(ロッテ)選手はどうですか。

バース もちろんさ。彼は守備も含め、日本で最高の野球選手だと思う。打撃、送球、フィールディング、どれをとっても超一級品だった。オールラウンドプレーヤーだ。

ランディ・バースの年度別打撃成績


印象に残っているのは7試合連続本塁打


──対戦して苦労させられた投手の名前を挙げてもらえますか。

バース 巨人の江川(卓)はファンタスティック。広島の北別府(学)も。彼は技巧派でスピードや力ではなく、スローカーブなどで打者を惑わすタイプだったね・・・

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