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野村謙二郎氏が解説!山田&柳田のスゴさ

 

史上9、10人目のトリプルスリー達成をほぼ確実にしているヤクルト山田哲人ソフトバンク柳田悠岐。両リーグでの同時達成は2リーグ制開始の1950年以来65年ぶりの快挙だが、果たしてわれわれはこの偉大さを正確に把握できているのだろうか。そこで自らも達成している前広島監督の野村謙二郎氏に、同記録の価値について語ってもらった。
取材・構成=吉見淳司 写真=BBM



得意の盗塁でまさかの苦戦


 僕がトリプルスリーを達成したのは1995年。プロ7年目の29歳のときでしたが、今でもよく覚えていますね。思い返せば一番の充実期だったかもしれません。試合を休むことはほとんどなかったですが、疲れを感じた記憶はあまりないですね。

 ただ、もともとホームランを打てる打者ではなかったし、それまでの最高もプロ2年目の16本。あの年だけ、自分でもなぜか分からないですけど、一度だけ30本塁打以上を打つことができました。大きいのを狙って打ったわけではなく、ヒットの延長がスタンドに入ったという感覚でした。

 もちろん、それまでトリプルスリーという記録も自分の中には全くありませんでした。3割と30盗塁をマークしたことはありますが、ホームランはまず無理だと思っていました。それがあの年は打ち返したボールにいい角度がついていたのでしょうね。

 ホームランが25本を超えた8月終盤ごろに周りの方から言われて意識をし始めましたが、チームの成績もありますから、「最終的に達成できたらいいな」というくらいでした。

 9月上旬になると打率とホームランは達成できていたのですが、最後の最後に残ったのが一番達成できるかな、と思っていた盗塁。目前だったので達成したい気持ちがあり、プレッシャーはありました。

 盗塁はチームのプレーも関わりますからね。もともとある程度は走る判断を任せてもらっていましたが、残り5試合くらいになると、当時の三村敏之監督から「好きにしていい。状況を考えずにいいよ」とは言ってもらいました。

 それまではやっぱりフォア・ザ・チームなので、むやみにスタートを切るわけにもいきません。結局、30盗塁目はシーズンも残り4試合となったヤクルト戦(10月6日、神宮)。それまでに決められていないのは、「一体、何をしていたんだ」という感じですが(苦笑)。

1995年にトリプルスリーを達成した野村氏だが、最も達成が遅れたのは得意のはずの盗塁だった



 当時のメディアのトリプルスリーに対する扱いは、それほど盛り上がってはいなかったと思いますね。今季は山田(哲人、ヤクルト)、柳田(悠岐、ソフトバンク)両選手の活躍で何度か名前を出してもらいましたが、あらためて自分の中では「よくやったな」と思います。

 自分の中ではトリプルスリーを一度達成したことで、次のシーズンを迎えるときには、そういう力があると見られているのは光栄でしたし、個人の目標として、同じ成績を続けていきたいというのは大きなモチベーションになりました。

 もとから各部門で近い数字を出せるところまでいかないと、実際に達成するのはなかなか難しい。例えばホームランを30本打ちたいと思っても、僕なんかはそれほど打てるバッターではないですからね。それが前半戦でコンスタントに打てたことで記録を意識するようになり、やっとクリアできた。でも、今回の2人は余裕を持って達成していますよね。

 われわれの時代はわれわれの時代で、自分で振り返ってもすごい記録だなとは思うのですが、現代のように・・・

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