文=佐伯要、写真=斎藤豊 ユニバーシアード大会でつかんだ復調のきっかけ
明大の背番号「11」は、エースの証。過去には
川上憲伸(
中日ほか)、
野村祐輔(
広島)、昨秋までは
山崎福也(
オリックス)が着けてきたが190センチの長身左腕・
上原健太は、それにふさわしい投手に成長した。
4年春、初めて「11」を背負った。その重みを、上原は固い表情で語る。「『11』を着けているだけで周りからの期待を感じ、投げていてもどう見られているかが気になりました」
上原は、リーグ戦の各カードの1回戦で先発してこそ「11」だと考えていた。ところが、4年春は1回戦の先発を務められなかった。3月に左手人さし指を負傷し、調子が上がらなかったからだ。2回戦の先発や救援で8試合に登板して3勝2敗、防御率1.46。この成績は、とても満足できるものではなかった。
「1戦目に投げていないことで、『上原はダメだ』と見られていると思いました。指のこともあって気持ちに余裕がなくなり、それがプレーにつながってしまいました」
今夏は侍ジャパン大学代表として第28回ユニバーシアード競技大会(韓国・光州)に出場した。グループリーグの韓国戦では救援として1イニングを無安打無失点に抑えたのだが、その登板前にブルペンで投球練習をしているとき、「ああ、こういう感じだったな」と球速とキレが戻ったと感じたという。
上原が追い求めていたのは、2年時の感覚だった。明大では1年春からリーグ戦に登板。2年時には主に抑えとして38年ぶりの春秋連覇に貢献した。2年春の大学選手権では自己最速の151キロを計測している。
そのころの残像が、上原の脳裏に焼きついているのだろう。3年秋には防御率0.96をマークし、最優秀防御率のタイトルを獲得しているのだが、上原は「3年時以降はボールの質などの感覚がそれまでと違ってしまった」と言っていた・・・
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