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2016ドラフト特集 第1弾
ドラフト超目玉 創価大・田中正義インタビュー 「体も心もすべて使い切る」

 

2016年ドラフトの“超目玉”は学生ラストイヤーを前に、相当な覚悟を決めている。昨年11月の新チームからは、自ら志願して主将に就任。あえて“逃げ場所”をなくして、大学球界の頂点に立つことだけに集中している。だが、スカウトを含めたプロ関係者の動きはヒートアップするばかり。アマチュア野球界でいま、最も旬な156キロ右腕の本音を聞いた。
取材・構成=岡本朋祐、写真=川口洋邦、BBM

防御率0.00でも納得しない完璧主義者


ミスター・ストイック。すべてを犠牲にし、野球を中心とした大学生活を送る田中正義は、アスリートの鑑だ。それはシーズン中に限らず、オフも変わらない。創価大・岸雅司監督は新主将に厳しい指示を出した上で、全幅の信頼を寄せている。「11月から2月まで、この4カ月が一番大事だよ、と。3月のオープン戦からの勝負では、手遅れなんです。正義は今やれることのすべてをやっている」。昨年12月24日に光球寮が閉まった後も、神奈川県内の自宅から創価大の施設へ通い、ウエート・トレを継続。オフの間には歯の矯正、親知らずを抜くなど、体のケアと強化を同時に進めている。

創価大名物の坂道ダッシュ。グラウンドのすぐ横にあり、ここで強じんな下半身を作り上げた。最速156キロの原動力を築いた特別な場所である



――創価大名物・坂道ダッシュでは、良い走りっぷりでしたね。ほかの選手を圧倒するオーラがありました。

田中 そんなことないです(苦笑)。ただ大学入学以来、辛抱強く、鍛えてきましたからね。それが、今に生きていると思います。この時期は、1年間戦える土台作り。トレーニング内容、食生活にも気を使っています。タンパク質、脂質、炭水化物など1日の摂取量を計算しているんです。体調によって食べたくない日もありますが、一定量は確保しています。

――そこまで管理する理由は?

田中 野球で成功したい、一番になりたい。遊ぶ時間はないですし、常に野球を考えないといけない時期。日本一を取るにふさわしい、24時間を過ごしていきたい。

――大学の広報担当によれば、昨年末は2週間で小誌を含めて、7本ほどのインタビューを受けたそうですね。

田中 注目されようが、されまいが、いくら騒がれようが、自分のやることは変わらない。いくら取材を受けても野球がうまくなるわけではないので、周り(の評価)に踊らされないように、常に自問自答しながらやっていきたいです。

――3年前の大学入学時に、いまのご自身の姿を想像できましたか。

田中 この状況に自分が一番、ビックリしています。でも自分を客観的に見れば物足りない部分ばかり。一つ挙げれば、変化球の精度。現状では6〜7割の確率なので、思うように制球できないと全国では勝てない。一つひとつ課題をつぶして、春のリーグ戦開幕を迎えたいと思います。

――田中投手が一躍、ドラフト超目玉へと台頭したのが、昨年6月29日のNPB選抜との壮行試合(神宮)でした。4回無失点で7連続を含む計8奪三振で、プロ二軍級を完全に封じました。

田中 あの試合は出来過ぎです。まだまだ、だと思っています。自分の中できっかけをつかんだと感じているのは、2年時の大学選手権1回戦(対佛教大)です。初めての全国大会、東京ドームというステージで完封できたことが、自信になりました。

――すでに大学生相手には無敵です。昨年は東京新大学リーグで12勝無敗。春、秋とも全国大会を逃したとはいえ、秋は防御率0.00。創価大の先輩である小川泰弘(現東京ヤクルト)の0.12を更新しました。

田中 数字だけを見ればすごいですが、内容が伴っていません。良い当たりが、野手の正面を突くことがありました。自分の思い描いた、配球どおりに打ち取る場面を増やしたい。結果オーライではなくて、根拠のある投球を続けたいです。

――昨春のリーグ戦から50イニング連続無失点を継続中です。

田中 いつか必ず、取られる。まずはチームの勝利が最優先ですから、最少失点に抑えたいと思います。恐らく相手校も得点したときは「田中から取った!!」と盛り上がると思うんですよ。自分からすれば、その後をいかに大事に抑えるかです。



田中には野球人生の分岐点となった2試合がある。全国デビューした2年時の大学選手権1回戦[対佛教大]で完封(上)すれば、最速154キロを計測。また昨年6月のNPB選抜との壮行試合では4回をパーフェクト。侍ジャパン大学代表エースとしてプロ相手に7連続を含む8奪三振をマークした



投手としての希望が見えた高校3年夏の4イニング


中学時代に在籍した川崎中央シニアでは目立たず、高校進学に際しても強豪校から声がかかるほどの実績はなかった。創価高・近藤省三元監督も「特徴は体が大きく、背が高い程度。埋もれていた原石」と当時を語る。縁があって同校へ進学し、1年夏から背番号1を着けるも、その後は右肩痛。2年秋からは主将(四番・中堅手)としてチームを引っ張るが、甲子園出場は果たせなかった。脚光を浴びる大学時代とは対照的に、高校3年間は不遇のときを過ごしている。

――右肩の痛みは深刻でしたか。

田中 外野では普通に投げていたのですが・・・

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