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特集・春季キャンプ徹底攻略!
小早川毅彦氏が語る 広島&ヤクルトのキャンプ仰天エピソード

 

トレーニング理論が確立され、練習法もシステム化された現在のキャンプ。しかし、ひと昔さかのぼると、各球団の個性的なキャンプが見えてくる。1980〜90年代にかけて、猛練習の広島、野村IDのヤクルトでキャンプを経験した小早川毅彦氏に話を聞いた。そこには今だから語れる仰天エピソードも。

部屋まで這った1年目


春季キャンプのイメージを“キツイ”、“厳しい”と表現した小早川毅彦氏は“鬼軍曹”こと大下剛コーチがいた時代の広島、野村克也監督時代のヤクルトで現役生活を送った。中でも一番きつかったのは自身のルーキーイヤーなのだとか。そのとき一体何が起こっていたのか。

ルーキーイヤーの特守などはファウルゾーンでやっていたが、2年目以降は主力として扱われ、「メーン球場で練習できる喜びがあった」と小早川氏



 僕たちのころは2月のキャンプイン前に自主トレという名目で、すでにキャンプが始まっていました。

 僕自身が一番きつかったと感じたのはルーキーイヤー(1984年)ですね。入団時は体力に自信がありましたが、1日の練習の60%くらいのところで体力が切れてしまうんですよ。だからあとの40%をどうして乗り越えたのか今でもよく覚えてないです(苦笑)。記憶がないというよりも記憶を消しちゃってるんじゃないかな(笑)。

 僕は全体練習の前に特守を1時間ほどしていました。通常、特守というのは1クールに1回くらいの間隔できますが、僕は毎日。休日も「お前は練習するから」と。当時は阿南(準郎)さんがコーチで、すごく厳しかったですよ。今思い返してみても1年目のときの阿南さんのノックが一番きつかったと思いますね。

 午前中は3時間ほどとにかく走る。本当にきついんです。午後になればローテーションを組んでフィールディングや、バッティング練習ですが、そこも気を抜けないんですよ。すごい罵声が飛んでくるので、ミスはできませんから(苦笑)。誰かがミスをすると終わるはずの練習が終わらない。自分が全体の足を引っ張るわけにはいかないというプレッシャーはいつも感じながら、その日の練習を迎えていました。体力だけではなく精神も擦り減っていきますよね。でも、やっぱりそういうところで気持ちの強さというのは培われてきたのかなとは思いますけどね。



 1年目はホテルでバスを降りてから、冗談ではなく本当に、そこから這って部屋に帰っていました。今でも同部屋だった先輩に会うと言われるのですが、這って部屋に帰ると冷蔵庫の前でへたって、飲みものを倒れながら飲んでいたらしいです。僕は記憶がないのですが、一気に2リットルを飲み干していたこともあるとか(苦笑)。その後シャワーを浴びて食事を取って、またすぐ夜間練習。これも毎日ですよ。僕以上に練習していた選手なんて、ルーキーでもいないです。とは言っても、僕はこれがルーキーの普通の1年目なんだと思っていました。ルーキーの野手で一軍キャンプに参加したのは僕だけだったはず。だからほかのルーキーのことは分からなかったんです。ただ2年目以降にキャンプでルーキーを見てもそんなことをしていないんですよ!そのときに「あれ?」と(笑)。

 ですが2年目の春季キャンプで山本(浩二)さんから・・・

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