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春季キャンプ一枚の写真から
“キャンプ天国”沖縄のホントの始まり

 

 いまでは日本一の“キャンプ天国"としてにぎわう南国・沖縄だが、長くアメリカの統治下にあり、日本のプロ野球とのかかわりは、そう古いものではない。

 ただし、多くの資料で書かれている1970年代後半の日本ハムが沖縄キャンプのスタートという話は違う。

 一番最初は、松木謙治郎監督時代の大映スターズで、57年2月に行っている。沖縄に親会社・大映直営の映画館ができたことを記念してだったと言われる。

 ただ、当時は日本復帰前。勝手が違い、ずいぶん苦労したようだ。予定していた米軍のグラウンドが草ぼうぼうでとても練習などできず、急きょ那覇高のグラウンドを借りるも、雨にたたられ、散々だったという。沖縄キャンプは結局、この1年だけで立ち消えとなった。

 なお、この春、大映は高橋ユニオンズを吸収合併、大映ユニオンズとなり、さらに毎日と合併し、大毎オリオンズとなった。現在の千葉ロッテマリーンズに続いていく“傍流球団"の一つと言えるだろう。

 その後、しばらく空いて日本ハムの投手組だけが沖縄・名護でキャンプを行ったのがリスタート。名護球場が軟式から硬式用に改装されたことを記念し、招待されたものだった。温暖な気候が評価され、81年からは野手も合流。

 写真は、そのときの目玉・江夏豊投手(左)が球場外野裏の砂浜を散策(トレーニング?)している写真だ。

 この美しい海は、その後、日本ハム春季キャンプの風物詩となり、多くの新人選手や注目選手たちがカメラマンに引っ張られ、笑顔で写真に納まってきた。

 広島から移籍してきたばかりで、“優勝請負人"とも言われた江夏は「ワシはメカが苦手やから」と時計の目覚ましをつけず、練習も、ほぼ自由にやっていた。

 それは決してわがままからだけではない。江夏はこの年、期待どおり守護神としてフル回転し、日本ハムを優勝に導き、MVPにも輝いている。プロ中のプロには管理は不要、すべては残した結果で判断してくれということだろう。男の美学を貫いた古き良き時代のサムライの一人だった。
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