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特集・2016 新背番号に込めた決意
金本知憲&掛布雅之 猛虎復活を託された背番号6と31

 

優勝を目指すべくチーム変革を唱え、阪神の監督に就任した金本知憲。その金本の強い要望により二軍監督に就任し28年ぶりにユニフォームを着ることになった掛布雅之。阪神のスター2人が現役時代に着けた背番号は、阪神の中で特に大きな重みを持つ。その2人が現場復帰とともに現役時代と同じ「6」と「31」を身にまとったのだ。そこに込められた選手たちへのメッセージとは――。
文=編集部、島尾浩一郎(報知新聞社)



金本という存在を追い抜け、追い越せ


 猛虎ファンに数々の歓喜と感動をもたらした背番号「6」が帰ってきた。金本知憲新監督が就任と同時に背負ったのは、現役時代と同じレジェンド番号だ。阪神の監督の1ケタ背番号は、1975〜77年に「1」を背負った吉田義男氏以来、2人目のこと。球界全体を見ると、巨人長嶋茂雄監督の「3」、広島山本浩二監督の「8」など、ビッグネームが現役時代の背番号で指揮を執った。「6」との出会いは、広島から阪神にFA移籍した2003年のこと。91年の広島入団以来、背番号10を背負ってきたが、阪神では、初代ミスタータイガースの藤村富美男氏のモノで、永久欠番となっていた。「大学時代に着けていた番号だから」と、新天地では東北福祉大時代に着けていた5に決まりかけたが、当時、球団は中村紀洋(近鉄)の獲得に動いていたため、白紙に。通算2064安打を放った藤田平氏、前監督の和田豊氏も身に着けた「6」に落ち着いた。

 2度のリーグ優勝に大きく貢献しただけでなく、1492試合連続フルイニング出場の世界記録樹立など、阪神での現役時代に残した実績は別格。レプリカユニフォームは球団No.1の売り上げを誇り、「6」は、鉄人の代名詞となった。「金本は阪神でいえばONのような存在」と、引退後は球団内で、永久欠番とする議論も起こった。実際、過去3年間は、背負うにふさわしい選手がいないとして空き番に。今季、監督として再びユニフォームを着ることが決まり、ファンにとって、待望のナンバーが復活した。

 指揮官は就任時には「背番号は何番でも構わない」と、無頓着な姿勢を示していた。それでも現役時代の番号が候補に挙がると、そこに、アニキなりの価値を見い出すようになっていった。

 掛布雅之二軍監督の「31」とともに、一、二軍両監督の現役時代の番号復活が決定すると「(6番にしたのは)僕と掛布さんで目立っておいて、監督が目立っていてはダメだぞ、選手たちは負けるなよという意味合いが大きい」とその意図を明かした。グラウンドでの存在感も、現役時代と同じ姿で立つ自分たちを追い抜いていけ――。そんな思いを込めたのだ。

 2012年。甲子園球場での引退セレモニーで、中畑清監督ばかりが目立つDeNAナインに「選手より監督が目立っているようではダメだと思います」と呼びかけた・・・

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