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特集・2016 新背番号に込めた決意
特別コラム『背番号は誰のものか』〜中日の背番号譲渡に見る〜

 

背番号の決定権は基本的に球団にあり、ファンはその結果を受け入れるしかない。だが、その数字が持つ重みや歴史は、球団とファンが共有しているものだろう。

 今季の中日は大きく変わろうとしている。谷繁元信監督兼選手、山本昌和田一浩小笠原道大(現二軍監督)と4人の名球会員が現役を引退。このうち、谷繁監督だけは背番号はそのままだが、残り3人の「34」、「5」、「36」は空いた。だが、すぐに埋めた。ドラフト4位の福敬登(JR九州)が「34」を、5位の阿部寿樹(Honda)が「5」を、6位の石岡諒太(JR東日本)が「36」を着ける。

 この決定が少なからず物議を醸したのは、3人がまだプロでの実績がない新人、それも下位指名(中日は6位で終えている)だからである。もちろん「偶然」ではない。落合博満GMは常に考えた上で実行に移す人であり、監督時代に遡っても背番号は「人事」だととらえている。つまり「昇格」は期待の表れ、「降格」には叱咤の意味を込めている。ただし、当事者にも外部にもその意図を説明することはない。

 このニュースを知った番記者の間で最も微妙な空気が流れたのは「34」だ。山本昌の実績もさることながら、生え抜き一筋32年、同じ番号を着け続けた世界最長記録だからである。そして、山本昌はその後継者の条件を「高卒の左投手」であるとし、具体名を落合GMに伝えていたことも知られている。濱田達郎(現在は「43」)だった。このことは自身の著書『奇跡の投手人生』(小社刊)にも記してある。もちろん希望であって決定権はない。しかし、落合GMは意向を知っていながらそうはしなかったということでもある。



 この問題の行き着くところは、背番号はいったい誰のものなのか――ということだ。選手のものか?違うだろう。では球団?それも首肯しかねる。ここで中日とは対照的だったヤクルトの例を紹介したい。昨季に「トリプルスリー」を達成した山田哲人が、今季から背番号「1」を着ける。契約交渉を終えた会見でお披露目も行ったのだが、そこに「先代」の青木宣親(マリナーズ)をサプライズで登場させたのだ。青木は2日前に帰国したばかり。静養先の軽井沢から駆けつけた。

 衣笠剛球団社長からは早い段階で「山田に着けさせようと思う」と相談され、青木も快諾。ならばと「君から渡してあげてくれ」と頼まれたのだ。青木がメジャー移籍したのが2011年オフ。14年には山田が最多安打のタイトルを獲得したが、それでも球団は空けたままにし、簡単には渡さなかった。そもそも、青木も先代の岩村明憲から3年空け、ようやく継承を許された。そこには背番号、特に歴史と伝統のある番号は球団と選手の共有物だという考えがある。当然、相互信頼が大前提で、さらに踏み込めばファンからの預かり物だという認識も感じられる。こうしたストーリーは、見る者の心をつかむ。

 本人の関知しないところでとんでもない番号を渡された福が、たとえ「後付け」であっても一流への階段を上がり、新たな伝説を紡いでくれることを願うしかない。
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