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大記録を成し遂げた男たち

松井稼頭央 2000本安打達成「野球が好きなんちゃうかな」

 

7月28日のソフトバンク戦(秋田)で松井稼頭央(楽天)がNPBだけでの2000安打を達成した。東北のファンに見守られて手にした新たな勲章。だが、この偉業もまだまだ通過点。39歳のベテランはさらにその先の高みだけを見据えている。
写真=荒川ユウジ、BBM



幾度もの試練と挫折を乗り越えて


 ふわりと上がった打球を、ゆっくりとした足取りで眺めた。「どうかな……あ、落ちるわ」。センターの柳田悠岐が打球を追う姿を見て、松井稼頭央は日本での2000本目の安打を確信した。1回一死の第1打席。中田賢一の低めのスライダーに、巧みなバットコントロールで反応した一打。そのシーンは、やはりスローモーションに見えたのだろうか?

「うん、見えたよ。打球が遅かったから、見ている時間はたっぷりあったから(笑)。それをスローモーションって言うんか、分からんけどね」

1回の第1打席で中田賢一から中前に安打を放ち、日本球界だけでの2000安打を達成。スイッチヒッターとしては史上2人目の快挙だった



 試合後、秋田市内で行われた会見。壇上のスターは、茶目っ気たっぷりに笑った。

「正直、プレッシャーは感じていた。仙台でもあれだけのファンのみなさんに応援してもらって。この東北の、秋田のファンの前で達成できて、よかったなと」

 節目の1本はプロ入り後に鍛え上げた左打席で打った。プロ2年目から挑戦するも、守備や走塁など課題は山積み。「だから、一度断念した」。2年目のオフ、ハワイでのウインターリーグ。西武の首脳陣からは「毎試合1打席でいいから、左で打たせてもらえ」と指示を受けた。だが、あまりに左打席の結果と内容が悪く、現地の監督からは「頼むから、もう左で打たないでくれ」と言われるほどだった。順風満帆に見えるプロ生活。だが、その裏では幾度もの試練を乗り越えてきた。

 PL学園高では肩や右ヒジのケガで、野球が満足にできなかった。幼いころからプロになることを信じて疑わなかったが、初めて「プロはダメかも」と思った。そんな不安な中でのドラフト指名。

「やった、プロになれる。でも、なんで西武やねん」

 当時のチームには石毛宏典奈良原浩辻発彦らの名手がそろっていた。「出られるチャンス、ないやん」。少し落ち込んだが、それよりも挑戦する強い気持ちが勝った。高校時代は投手だが、プロで内野手に転向。基本からの練習。新しい取り組みが新鮮で夢中で打ち込んだ。ただ、当たり前のこともできなかった。

「でも、苦しいことはなかった。挫折でもない。打てなくても、守れなくても練習するしかない。深く考え込んだり、落ち込んだりする暇もないほど必死な毎日だった」

 ヘッドスライディングでの帰塁さえ一から教えてもらった。フィールディングもまた基礎から。遊撃でゴールデングラブ賞4度を誇る名手からは想像もつかない苦戦だった。

東尾修監督(当時)は、ノックを捕るまでは見てくれる。でも投げる瞬間に目を逸らす。俺が、とんでもない方向に投げてしまうから。一塁手じゃなくて、客席まで何度投げたか……。普通の監督はあんなの見たら試合で使う気になれない。でも、我慢してずっと使ってもらった」

向上心が決断させたメジャー挑戦


試合後に行われた記者会見で笑みを見せる松井稼。日米3000安打への意欲も見せた



 日本で十分な実績を打ち立て、上を目指す純粋な向上心、好奇心にかき立てられた。新たなる挑戦はあこがれからではない。「どんなにすごいヤツがおるんやろう?」。日本選手の常識を超える身体能力を持つメジャー・リーガーと勝負したかった。文字どおり「挑戦」だった。『イチローのスピードに松井秀喜のパワーを兼ね備えたのが、カズ・マツイだ』。メッツ入団前、米メディアはそう騒ぎ立てた。冬のニューヨーク。ジョン・F・ケネディ空港に降り立つと、マスコミが大挙して押し寄せた。フラッシュの嵐、テレビカメラが目の前に立ちはだかる。まくし立てるように、英語で質問が飛ぶ。理解できない松井稼は「NO、NO」とだけ言って、迎えの車に乗り込んだ。

 同伴の関係者が「あの質問、答えなくてよかったですよ。分からずに適当にYESって言ったら大変なことになっていましたよ。『お前は(デレク)ジーターより、すごいのか?』って聞いてきたんですよ」。過大評価と大きすぎる期待が、のしかかっていた。「(メッツ本拠地の)シェイ・スタジアムは5万人くらい収容できるけど、4万9980人がブーイング。家族なんて、とてもじゃないけど、呼べなかった」

 メッツ時代は遊撃から二塁へのコンバート、度重なる故障など苦難もあった。だが、ロッキーズではレギュラーとしてワールド・シリーズに導いた。アメリカでの7年間を「すべていい経験で財産」と言い切る。10月で40歳。まだまだ、第一線を退くつもりはない。

「野球が好きなんちゃうかな。1本のヒットがうれしいし、3本打った日は最高にうれしい。でもタコったら気分はクソ悪いもん」

 日米通算3000安打は「ほど遠い」と言う。だが、可能性は残されている。「挑戦できるチャンスはある」。野球少年のままの笑顔でも、目つきは鋭い。この男の進む野球道には、まだまだ続きがありそうだ。

松井稼頭央のメモリアルヒット



プロ初安打は1995.4.9。対日本ハム[西武球場]。投手=芝草宇宙



1000安打は2001.7.8。対オリックス[グリーンスタジアム神戸]。投手=田村勤



1500安打は2011.7.26。対ソフトバンク[福岡ヤフードーム]。投手=D.J.ホールトン

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