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“プレミア12” 初制覇への戦い
炭谷銀仁朗が語る国際大会と「日本の強み」

 

今回のプレミア12で5度目の侍ジャパンのユニフォームを着ることとなった、炭谷銀仁朗。今年で10年目のシーズンを終えたが、獅子の扇の要を担ってきた男はすべての経験を糧としてきた。「出るからにはてっぺんを目指して、全力で戦います」。自らのすべてをぶつけて、チームを世界一へ押し上げる――。
写真=桜井ひとし、BBM



国際大会における投手力、守備力の重要性


 大願成就とはならなかった。昨オフFA権を得た炭谷銀仁朗。プロ9年目を終えた、経験豊富な捕手の去就に注目が集まったが本人は西武残留を選択した。

「自分がメーンでマスクをかぶって一度も優勝できなかった。それがしたい気持ちが強かった」とその理由を明かしたが、シーズン中も「西武で優勝したい気持ちは年々強くなっています」とあらためてその強いチーム愛を強調していた。

 しかし、結果は4位。開幕ダッシュには成功したが、前半戦最終戦となる7月15日楽天戦(西武プリンス)からドロ沼の13連敗を喫して大失速したことが響いた。炭谷自身は連敗中の25日日本ハム戦(同)でスタメンを岡田雅利に譲って以降、ベンチスタートが多くなる。「これも勉強やと思っています」と無念さを押し隠しながら、気丈に前を向いていた。ただ、このように何事も吸収して糧としていくのが炭谷の真骨頂の一つであるのは間違いない。

 プラスとマイナス、両面の経験が炭谷を成長させてきた。2006年高校生ドラフト1巡目で西武に入団すると3月25日オリックス戦(インボイス)で51年ぶりの高卒新人捕手開幕スタメンデビュー。09年からレギュラーの座を手中に収めると、10年は左ヒザのケガの影響で1試合のみの出場と1年を棒に振ったが、翌年から今年まで獅子の扇の要を担ってきた。

 その間、日本代表の経験値も高い。12年3月東日本大震災復興支援ベースボールマッチの台湾戦で初めて侍ジャパンの一員に選ばれると、その年のオフのキューバ戦にも出場。さらに13年3月の第3回WBCでも日本代表のユニフォームを着て、小久保ジャパン発足後に行われた13年11月の台湾戦でも日本のために力を尽くした。

 世界を相手に数多く戦ったからこそ、分かることがある。以前本誌インタビューで国際大会における投手力、守備力の重要性に関して次のように語っていた・・・

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