母校は春夏合わせ3度、甲子園へ出場した経験はある。ただ、最後は1983年春。
細川亨の入学した青森北は「強豪校」ではなかった。一番、聖地に近づいたのは1年夏。1年生からレギュラーだった細川はベスト4へ進出したものの、3年間でそれが最高成績。青森山田、光星学院といった私立の強豪の壁は厚かった。
「実は1年のときはキャッチャーじゃなかったんですよ。春はライト。夏はファーストでした。夏の大会が終わり、3年生を送る会で捕手がいないという話になって、肩も強かった自分がやることになった。2年の春からでした」
08、11年にはベストナインまで獲得した名捕手のこれが第一歩だ。「5メートルくらいの距離からノックを受けた。本当に倒れるくらいまでやりましたね」。倒れれば水がかけられる。当時はまだ、練習中に水を飲むことは許されなかった時代だった。倒れたまま、グラウンドの土と混じった泥水を飲み、また、グラウンドに立った。「あのノックがあったから、プロに入ってもワンバウンドを捕球するのは怖くなかった。練習にもついていくことができた」。青森大から02年のドラフト自由獲得枠でプロの扉が開いた。
「甲子園は見なかったな。あの(3年の)夏は海でウニやアワビをとってましたね(笑)」。あれから15年目の夏を迎える。33歳になった細川は11年にFA資格を行使し、
ソフトバンクへやってきた。新天地でもチームの正捕手として、五角形のホームベースに君臨する。3月29日の開幕戦(対
楽天、ヤフオクドーム)の3回一死一塁では、チームの今季1号となる2ランを放った。逆転優勝を狙うチームのまさに「扇の要」である。