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ヒッソリ静かに行われたパ・リーグのあるチーム同士のある球場でのガラガラナイター
♫こんな時代もあったのサ

 



 プロ野球は、ついに、27日に開幕したが、ウイークデーだから、6球場ともナイター開催となる。プロ野球でナイトゲームが一般的になったのは、1950年代後半からだが、この写真は、いつごろで、どこの球場でしょうか。

 スコアボードの「ブレーブス」のチーム名が読めるから、阪急ブレーブスの主催ゲームで、球場は本拠地の西宮球場であることが分かるが、年代となると、なかなか難しいかもしれない。

 写真から読み取れる名前を頼りに推定してみると、相手はフライヤーズだから阪急-東映戦。現代のファンには知らない名前ばかり並んでいることと思う。かろうじて阪急の一番打者・バルボンが記憶の中のどこかにあるかも。写真では読めないかもしれないが、打者ランプのついている東映の三番打者が、“三塁打王”の毒島章一だ。

 もっとも、写真当時だって、阪急、東映の選手たちは、全国的には無名に近かった。この試合は56年6月13日のダブルヘッダーの2試合目。当時は入れ替えなしだったハズだから、観客の姿がもっとあっていいのに、これはまるで試合開始はるか前の光景。でも、もう試合は始まっていて1回表二死無走者で打者は毒島という場面。西宮の初ナイターは53年5月5日の阪急-毎日戦。

 阪急は西宮でのナイトゲームに強く、一時は“夜の勇者”などと言われたが、この56年は年間を通して強さを維持。梶本隆夫種田弘阿部八郎柴田英治の4投手が2ケタ勝利、ルーキーの米田哲也も9勝。優勝した西鉄に勝ち越すなど大躍進、88勝64敗2分で2リーグ後初の3位に。それでも観客動員数は、77試合もやっているのにわずか38万7600人。1試合で5000人ちょっと。前年より減っていたのだから不思議だ。それでも阪急本社の“顔”で広告だけは保険、製薬、電機の有名銘柄が並ぶ。
文=平野重治
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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