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チプラス首相の策士ぶりには驚いたが、プロ野球の世界の策士と言えばこの人だ。ネモやんは球界をドラスティックに動かした!

 

文=大内隆雄


 いやあ、ギリシャのチプラスという男には驚きましたねえ。国民投票でさんざん反対を煽っておいて、EUの首脳会議(7月12〜13日)では、その反対したEU側の提案をほとんど丸のみしてしまった。しかし、政治の世界とは、そういうものなのだろう。ギリシャの経済再建がうまくいくかどうかは不透明だが、チプラス首相がドラスティック(徹底的)に状況を動かした、これはたしかな事実。歴史に残る策士――。

 プロ野球の世界での、チプラス的人物と言えば、根本陸夫、この人にとどめを刺すだろう。99年に亡くなったが、この人が動けば、アッと驚くタメゴロー(古いか)の連続。

 その策士としての仕事ぶりを列挙すると、広島監督として、山内一弘広岡達朗関根潤三を呼んで赤ヘル時代の基礎を作った。西武監督となったときは、田淵幸一山崎裕之らを強引に獲得、西武黄金時代を準備した。管理部長となってからは、プロ拒否のハズの工藤公康を入団させ、85年のドラフトでは、清原和博の当たりクジを引き当て(とにかく強運の持ち主)、このドラフトで清原を獲りたいと早くから匂わせておきながら桑田真澄を単独指名した巨人には、イヤミのひと言もあるだろうと思いきや「巨人はお見事!」。根本にとっては、これがジス・イズ・ドラフトだった。

 ダイエーに招かれてからは、秋山幸二を獲得し、王貞治監督を招へい。工藤公康も獲った。さらに、駒大進学の決まっていた城島健司を強引に入団させた。その結果は、ダイエー(ソフトバンク)黄金時代――。

 この強引なまでの積極性、果断さは、法大で一緒にプレーした関根によると「徴兵体験だろうねえ。彼は26年生まれ。この年生まれまでは戦争に引っ張っていかれたんだ。僕は27年早生まれで助かった。生きるか死ぬかだもの」。ネモやんに怖いモノはもうなかったのだ。
おんりい・いえすたでい

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