現役時代から、現在の好々爺(こうこうや)としてのたたずまいに通じる“無欲の人”だった。
関根潤三は、法大で六大学リーグ通算41勝を挙げ1950年に近鉄入団。開幕投手を2度務めるなどエース級の活躍をしながら、7年目にあっさりと野手転向。その理由が「投手に飽きたから」というのもこの人らしい。
打者としても才能を開花させると、38歳となった65年に
巨人へ移籍。それも「1年で自分の持っているものをすべて吐き出したい」とシーズン後の引退を前提とした異例の移籍で、同年、初の日本一を味わうと球団の引き留めに応じることなく引退。野球選手としての“欲”とはどこまでも無縁だった。
その後、解説者となり各球団からのコーチ招へいを断り続けたが・・・
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