今週号のインタビューに登場している
ソフトバンクの高卒ルーキー・
武田翔太のトレードマークと言えばマウンド上での笑顔だが、今からちょうど半世紀前のプロ野球にも、ニッコリと笑いながら並み居る強打者を牛耳った新人投手がいた。
浪商高を2年で中退し、1962年に17歳で東映入りした
尾崎行雄は、1年目にいきなり20勝を挙げ新人王に。ふてぶてしいロッキング・モーションと、スリークオーター気味のフォームから150キロを優に超えていたとされる豪速球を投げ込み、チームの日本一に貢献した。
当時、マスコミの取材で17歳という若さについて話が及ぶたびに「僕はもう子どもじゃありません。働いて月給をもらっているんです。世間の人は大人と言ってくれますよ」と言い返したという尾崎。プロの打者の印象を問われても・・・
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