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1998年9月27日の横浜戦で現役最後の登板を終えた
大野豊は、
広島市民球場に集まった2万9000人の観衆の前でマイクを持つと「テスト生で入団した私がこれだけ長い間、現役を続けてこられたのも、球団をはじめとし、諸先輩、スタッフ、チームメート、そしてファンの皆様のおかげだと思っております」と感謝の言葉を述べ、最後に「我が選んだ道に悔いはなし!」と結んだ。
出雲商高卒業後、プロや社会人の強豪チームからの誘いがありながら、地元の出雲信用組合に就職。女手一つで育ててくれた母・富士子さんを一人にするわけにはいかないとの思いからだったが、銀行マンとして勤務しながら同社の軟式野球部でプレーすること3年、プロへの思いが芽生え、77年2月に広島の入団テストを受け合格。島根から中国山地を越え、プロ生活をスタートさせた。
“軟式出身”という異色の経歴を引っ提げて入団した左腕は・・・
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