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ドン底から世界レベルに達するのには50年を要する
テニスのようにプロ野球もそうだった
50年後の想像となると…

 

黒田[ヤンキース]=写真、AP=やダルビッシュ[レンジャーズ]は、日本の投手の力を見せつけたが、50年後に2人のような選手は存在する?


 プロテニスの錦織圭が、全米大会で8強に勝ち進んだとき(決勝まで行った!)は本当に驚いた。拾いに拾って、しかも、拾った球を相手が取れない打球にする。そうやって相手がヘバるまで根気よく待つ。テニスに限らず、日本人が外国人に勝つためには、これしかない、そう確信した。

 全米のベスト8は、1922年の清水善造以来92年ぶりという。清水といえば熊谷(一弥、18年の全米ベスト4)。図らずも“熊谷清水時代”を思い出させてくれた。筆者の両親が、よくこのコンビの話をしていたが、両親は、1920年前後の生まれだから、2人が熊谷、清水を知ったときは、もう伝説の世界のことだったハズ。そんな時代を、ついでに両親のことも思い出させてくれたのだから、錦織のベスト8には感謝したい。熊谷も清水も多分、錦織のようなテニスでアメリカ勢、イギリス勢に対抗したのだろう。

 ところが、日本のテニスが外国勢に勝てなくなると、日本は軽視、無視されるようになる。70年ごろだったと思うが、オーストラリアの大選手、ロッド・レーバーとケン・ローズウォールが東京体育館で、アメリカのデ杯勢(アーサー・アッシュがいた)と試合をしたことがあったが、2人のマナーの悪さに、怒りがこみ上げてきた。ネットの真ん中をまたぐは、ミスすると、観客席にボールを打ち込むは、とやりたい放題。黒人のアッシュはどんな思いで2人を見ていたのだろうか。多分、軽べつしたことだろう。

 とにかく、オーストラリアの2人のナメ切った態度は、「カネ返せ!」と叫びたくなるほど醜悪だった。これは、2人が「日本人にテニスなど分かるまい。お遊びでいいんだ」ぐらいの気持ちだったことを表してはいないだろうか。当時の日本のテニス界は、それほど弱体だった。それから50年近く。日本のテニスは、世界に向かって「どうだ!」と胸を張れるレベルになった。

 55年に来日したヤンキースに・・・

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岡江昇三郎のWEEKLY COLUMN

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プロ野球観戦歴44年のベースボールライター・岡江昇三郎の連載コラム。

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