なぜ一般社会でも「外野」と言うのか
前号で、
阪神・
金本知憲監督誕生の話題に少し触れた。ちょうど読者から“外野手出身監督”に関する質問が届いていたので、紹介しよう。
「野村さんは“外野手出身者は監督に向かない”というのが持論ですが、セ・リーグでは中日を除く5球団の監督が外野手出身になりました。この件について、いかがでしょうか。また、“外野手は遠くから見ていることが多いので、客観的に野球を見るという指揮官としては大切な資質が身に着く”と言っている野球評論家もいます。この考え方について、野村さんはどう思われますか?」(タカシさん、36歳) プロ野球80年の歴史があって、外野手出身の名監督はいない。
三原脩、
水原茂、
鶴岡一人、
川上哲治といった日本プロ野球史上に名だたる大監督たちも、すべて内野手出身だ。私の持論は、つまり歴史が証明しているのである。
われわれが監督に就いたとき、監督業のベースになるのは、選手時代の経験だ。外野手は個人差こそあれ、ほとんど頭を使わずに守れるポジションである。前を守るか、後ろを守るか、ほかの野手とどう連携を取るか。ほかの野手と比べれば、そこまで緻密に考える必要がない。おかしなところを守っていれば、必ずベンチから指示が出る。守りながら、イメージバッティングをしている選手さえいる。だから、一般用語でも部外者や仲間外れのことを、「外野」と俗語表現するのだ。
その点、手前味噌だがキャッチャー出身者は、選手時代に監督以上の仕事をしてきている。1球1球、「直球来い」「変化球来い」とサインを出して、試合を作る。いわば、野球というドラマを作る演出家であり、脚本家。そう気が付いたとき、私は怖くなった。自信がなくなった。そこで鶴岡監督に相談し、1試合(正確に言うと5イニング)だけライトを守らせてもらった話は、以前ここにも書いたと思う。
そのとき見た外野からの風景は、当然ながらキャッチャーとして見るものとは正反対。とにかく落ち着かなかったのを覚えている。確かにフィールドのすべては見渡せるが・・・
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